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2007.04.29

1000の小説とバックベアード

20060712_002 似つかわしくて異なるもの。内面的に。或いは、思想的に。それらに対する足掻きは、きっと無駄のようで無駄じゃない。費やした時間すべてが、どこかで必ず糧になる。そんなことを思うわたしは、まだまだただの甘ちゃんだが、漠然としながらも、足掻きを認める強い気持ちが確かにあるのだった。佐藤友哉著『1000の小説とバックベアード』(新潮社)。この物語で、似つかわしくて異なるもの。それは、“片説家”と“小説家”。片説家が、ある特定の人に向けて物語を紡ぐのに対して、小説家は、大勢の人に読まれることを想定して物語を紡ぐ。物語の主人公は、片説家の一人であって、小説家じゃない。だが、解雇されてから、途方に暮れていたところを、或る女性から小説を依頼される。

 「私のために小説を書いてほしい」そう頼まれては、元・片説家はじっとしていられない。なおかつ、生活もかかっているのだ。また、小説を依頼された女性の失踪中の妹に贈られた片説というのが、主人公のかつていた会社のものだったことであるとわかると、なおさら。そこで、主人公の友人である探偵に、失踪のゆくえを頼んでみることに。その後、物語は意外な方向へと展開されてゆき、片説と小説の狭間で揺れ動く主人公の心情などが少しずつ明らかになってゆく。作中の、文学史を紐解いてゆくような場面や、小説に対する想いが語られる場面など、文学好きにはかなり興味深いものになっている。そして気づくのだ。自分自身が、どれほど文学というものを愛おしいと思っているか、を。

 だが、読み手であるわたしたちは、ひとつひとつの作品にどれほどの想いが込められているのか、知る術がほとんどない。いくら読んでも、その真の姿には、近づけないままなのだと思う。もし、或る人が“これは小説です”と言えば、あらゆるものが小説になる、そんな時代である。その環境の中で、生き残るべくして記憶に刻まれる作家というのは、やはり文豪と呼ばれる類の人。または、それに近い功績を残した人である。時が経てもなお、色褪せない人。つまりは、才能があるだけじゃなく、活動内容も伴っている、そういう人でなければならない…なんてことを思う。だからこそ、こちらに求められる無数にある課題ひとつひとつは、読み手であるわたしたちの永遠なる宿題のようなものだ。

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佐藤 友哉
新潮社 2007-03

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