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2007.02.15

アムステルダム

20070212_4019 今、音を立てて何かが崩れ落ちようとしている。誰かの陰謀によって。或いは、自ら招いた誤算によって。どちらであろうとなかろうと、その結末はあまりにも脆い。おしまいの時が来てしまえば、死人に口なしというもの。どうしたって、取り戻しようがない。後悔すらできない。反省も弁解もできないのだ。誰がほくそ笑もうとも、もはや神のみぞ知るというべきか。死の淵に来てしまったのなら、崩れ落ちるままに身を任せて、その流れに漂うしかないのだろう。一人の女性の遺したものに翻弄される男たちを描いた、イアン・マキューアン著、小山太一訳『アムステルダム』(新潮文庫)は、そんなことを思わせる物語である。あっという間に呑み込まれるその渦に、流されるままに読んだ1冊だ。

 充分に老いることなく、痴呆によりモリーという女性が亡くなったところから、物語は始まる。彼女の葬儀に集ったのは、その数々の愛人たち。中には、英国を代表する作曲家や大新聞社の編集長、外務大臣らの顔があった。とりわけ、作曲家のクライヴと新聞編集長のヴァーノンは、モリーとの付き合いも長く、古くからの親友でもあるという複雑ながら、深い間柄にあった。やがて、モリーの遺したスキャンダラスな写真をめぐって、ふたりの仲はあらぬ方向へと発展し、過酷な運命に翻弄されることになってしまう。人の善悪やモラルというもの。友情というもの。人は誰しも100%の正しさを持ち得ていないことなど、様々な問いを感じさせる展開である。

 クライヴとヴァーノン。作曲家と新聞社の編集長。友にはとことん尽くすクライヴと、どこかで一線を引く付き合い方をするヴァーノン。相対するようで、ふたりはとてもよく互いのことを知っている。どこか似ているからこそ通ずるものがあり、異なるからこそ相手をよく見つめることができるとでも言おうか。だから、信じる友の言葉は重く響き、ときとしてその運命を大きく左右することがあったのだろう。もしもそれが、たった一人でもいて欲しい見方であるのなら、なおさらのことである。ある意味ふたりにとっての最も怖い相手というのは、クライヴであり、ヴァーノンであったとも言えるかも知れない。見方でいて欲しい相手は、敵にしたくない相手でもあるのだ。

 この物語核となる、人の善悪やモラル。それらは、友情を壊すには容易かった。けれど、わたしはどこかでまだ、信じていたい気持ちを抱いている。物語のように運命に翻弄されてしまうには、あまりにも切な過ぎるゆえに。あまりにも滑稽ゆえに。物語として楽しめたそれらは、実際問題としたら痛烈過ぎるゆえに。音を立てて崩れ落ちようとしているもの。その値打ちを思うがために、わたしは信じたいのだ。無駄な抵抗と言われようとも、形ないものを信じる無かれと言われようとも、一方的な思いで終わりを迎えようとも。そんな報われない気持ちを、人であるからこそ抱き続けていたい。そうして、死の淵まで一緒に抱えていくのである。無くさずにずっと。

4102157212アムステルダム
イアン・マキューアン
新潮社 2005-07

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