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2007.01.05

星と月は天の穴

20051209_029 心を置く。自分が好ましいと思うところに。誰かを置く。自分が好ましいと思うところに。そうして自分の思うままの世界をつくり上げて、しばし様々な場面を想像してみる。そこで自分に都合のいい世界を堪能しながら、その中でもがき足掻いてみせるのだ。悲しみに暮れるのもいいだろう。新たなるものを見出すのもいいだろう。それはある種の快楽であり、ある種の苦悩でもある。吉行淳之介著『星と月は天の穴』(講談社文芸文庫)は、そんな快楽と苦悩とが入り混じった作品のように感じられる。小説の中に小説がある、という二重の物語は、著者を彷彿とさせる主人公のめぐらされた思考と、重なり合い、絡まり合い、新たなるものを生み出しているように思えるからである。

 主人公の男である作家の矢添は、AとB子の物語を執筆している。その二人の関係性を、自分と誰かとの関係に重ね合わせ、結びつけるようにして、描こうとしている。だが、矢添という男は、希薄な人間関係しか築けない人物である。40歳という中年にして、特に男女の関係では、つかの間の交わりというもの。いわゆる、お金で買える快楽や、一度限りの接点を欲するような人物なのである。千枝子という懇意にしている女性とも、そういう類の関係であり、B子に彼女を当てはめるには無理があることを感じ始めている。そんな中、ふと入り込んだ画廊にて、紀子という女性に出会うのだった。20も歳の離れた二人の関係は、一度限りのものに思われたが、次第にその心持ちと共に変化してゆく。

 希薄な人間関係。それに安堵しているのか、悲しみを抱いているのか、矢添自身わかっていないところがある。その曖昧な感情の動きは、相手の出方を試すような、策略に満ちた言葉に溢れているようにも思える。だが、一方で放つ言葉とは裏腹の自分自身をも感じているから、人間というものの心理の複雑さを思わずにはいられない。その相反する言葉の裏側を探ってゆくように、矢添の周囲の女たちは皆、賢くて狡くて卑しくさえ思われる。女性であるわたしが、彼女たちに対してそう感じるのは、矢添という男に気持ちを置いているからに他ならないが、それはどこか、矢添の心の置き方にも似ている気がする。そう、自分が好ましい状況をつくり出すような、それに。

 作中には、矢添の心の置き方について、“相手と自分との関係を眺める”という表現が用いられている。そして、矢添は、そうすることによって、ある理想的な恋愛のかたちを見出そうとしている。人に対して精神的になれることを希求しながらも、叶うことのないそれ。なおかつ、自分の心を騙してまでも求め続けるそれ。やがて、それは悪意にも満ちたものへと変化し、出来上がりつつある関係の事実をも否定しかねないものとなる。最終的には、それが行き着く場所へと向かう余韻が漂うわけだが、そこまでの展開がリアリティを持ってわたしには響いたのだった。そして、心の奥底で蠢き出す何かを確かに刺激し、どこかへと向かわせるようにも感じた。そう、わたしにとっての、理想的なかたちを求めるべくして。

4061960490星と月は天の穴
吉行 淳之介
講談社 1989-06

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