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2006.12.05

はずれ姫

200612001_002 はずれくじも積もれば、いつかはあたりになるものだ。なんてことを誰かに教えられた気がする。それともわたしの中の観念的な思いだろうか。今となってはわからないけれど、どこかでいつの日かあたりくじを引くことを待っていることだけは、確かかもしれない。わたしは本質的にそんな、甘い人間であることを認めざるを得ない。長谷川純子著『はずれ姫』(新潮社)は、まさにそんなわたしにしっくり馴染む作品で、むさぼるようにして読み耽った一冊だ。はずれくじ的人生を生きる女と行き場のない男。その哀しみを切なく描く五つの物語は、染み入るように心の中を浸してゆく。どの物語もひとつの恋が終わったような余韻を残しつつ、ひたひたと音を立てる。

 表題作「はずれ姫」は、葉桜に魅せられた中年男性の、やり場のない日常を描く。同時に、美しくも孤独な女性の深い哀しみをも描いている。満開の桜よりも葉桜の清楚なところに惹かれる男は、家族に虐げられ、一人ひそやかに葉桜を見つめ、淫らな妄想に耽るのだった。そんな頃、一人きりで名曲バーを営む女性と出会い、彼女との密なる時間を過ごすことになるのである。そう、彼女こそが“はずれ姫”。美しいのに、気だてもいいのに、誰もが彼女から去ってしまう運命にあるのだった。待ち続ける女。その哀しみに男は惹かれ、やがておしまいには去る。けれど、彼女はきっと、そうやってこれまで歩んできたのだろう。そして、これからも歩んでゆくのだろう。そう思わせる。

 続いては、「ナッちゃんの豆腐」。これはまさに、“はずれ姫”の中の“はずれ姫”である。世間を知らずに一人きりで店を切り盛りする孤独なる女の性を、ひしひしと感じさせる物語である。彼女は何も知らない。あまりにも知らない。何しろ、長い間、ほとんど店の中で働き続ける人生だったのだから。しかも美しいわけでもなく、その存在感すら薄い。彼女の素性を知る者もいなければ、店が繁盛しつつも彼女にかまう誰かもいない。それでも、豆腐を見つめる彼女の中には、いろんな妄想が膨らむのであった。いつか、この店を出てゆく日が来るかも知れない。いや、そんな日が来るなんてあり得ない…その二つの思いの狭間で揺れつつも、自分の身の丈をしっかりと保っている。

 どの作品にも通じる“はずれ姫”的な人生。それは、どこかリアルでリアルじゃない。けれど、どこか救われる物語たちなのだ。それはきっと、わたし自身の中に眠る何かが、作品たちに共鳴したからでもあるし、はずれ姫的な人生もなかなか悪いものでもないと思わせてくれるからである。ただし、やはりはずれ姫的人生というのは、どうしても孤独や虚しさがつきまとう。哀しみは何よりも大きくのしかかる。人は皆、結局は独りぼっちなのかもしれないが、それでも待ち続けるのは、あまりにもしんどいことであると教えてくれる。それでも、待とうじゃないか。待ってみせようじゃないか。今のわたしは強がって、そんなことを勢いにまかせて思うのだけれども。

4103011718はずれ姫
長谷川 純子
新潮社 2006-08-19

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