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2006.12.31

ブラフマンの埋葬

20061121_44002 忘れ得ない記憶を呼び起こすように、その断片が後から後から舞い降りてくる時がある。悲しいもの、切ないもの、愛おしいもの。言葉では言い尽くせないくらいの、とりとめのないもの。或いは、日常に溢れる、とるにたりないもの。そんなものたちの断片は、時にひどく心を沈ませる。そして、時にひどく心をあたためる。小川洋子著『ブラフマンの埋葬』(講談社)は、まさにそういう思いを詰め込んだ一冊のように思う。ここでの悲しみは、愛おしさによく似ていて、その愛おしさはまさに、悲しみの断片だからである。タイトルから予想される結末を噛みしめて読めば読むほどに、その悲しみは奥深さを伴い、読み手であるわたしたちを導いてくれる。あたたかなところへ。そっと。

 物語は、ブラフマンと名付けた小動物と<僕>が出会い、共に時間を過ごし、その死を見届けるまでが描かれる。夏のはじめから、冬の訪れまでの僅かな時間の中で、濃密でどこか異国の地を思わせるような物語が展開されてゆく。舞台となる場所は、<創作者の家>という芸術家が集まる別荘。そこの住み込みの管理人である<僕>は、長期に渡ってそこに滞在している碑文彫刻師のところから、“ブラフマン”という文字を見つけて、その名を付けることにするのだ。碑文。それ自体の持つ意味合いからしても、ブラフマンの運命は決められていたようにも感じられる。運命のめぐり合わせというものは、もうその瞬間からはじまっていたのかもしれない、そう思わずにはいられない。

 ブラフマン。その正体は、永遠の謎である。小動物であることくらいしか、はっきりとは描かれてはいない。けれど、その愛くるしさは、どこかわたしたちの誰もが抱いたことのある感情を呼ぶような気がしてならない。母性とも違う、何か。愛情とも違う、何か。そういう類の、懐かしさのようなものを呼ぶのだ。それはきっと、どこか遠くて近くにあるものかもしれないし、全く別のものかもしれない。そんな謎解きのような微妙で、かつ繊細な感情のように、わたしは思うのだった。その不思議な感情を何と呼べばよいのか、わたしにはわからない。ただ、わかるのは、忘れ得ない記憶を呼ぶような懐かしさだけが確かにそこに存在している、ということだけである。

 そう、それは雨上がりに残る、水溜まりのような。そんな記憶にも似ている。忘れ水とも呼ばれる水溜まりは、まさに後から後から舞い降りてくる記憶の断片の一つのように、わたしには思えるのだ。悲しいもの、切ないもの、愛おしいもの。言葉では言い尽くせないくらいの、とりとめのないもの。或いは、日常に溢れる、とるにたりないもの。そんなものたちを思い出させるために残されたかのような、忘れ水たち。ふと思い出される記憶の断片は、いつか蒸発して天へとのぼる忘れ水のごとく、いつかはやわらかにも穏やかに変化してゆくのかもしれない。痛みとして刻まれた悲しみの記憶も、どんな記憶も、何もかもが。そっと、ひそやかに。忘れ得ぬものとして。

4062123428ブラフマンの埋葬
小川 洋子
講談社 2004-04-13

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コメント

ましろさん☆あけましておめでとうございます。
1年の締めにこの本に巡り合うなんて、ステキですね。
忙しさにかまけて、自分を見つめることを忘れてしまいがちな日常に、この本は大事なことを教えてくれるようです。
今年も、よろしくお願いします。

投稿: Roko | 2007.01.02 10:54

Rokoさん、コメント&TBありがとうございます!
1年の締めに埋葬しちゃってますが、いいのでしょうか…(笑)
実は再読本で、レビューを書いていなかったので、
急遽載せてみました。特に意味も考えずに。すみません。
でも、とてもよい作品ですよね。何度でも読みたい1冊です。
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願い致します!

投稿: ましろ(Rokoさんへ) | 2007.01.02 14:10

この本、とても好きです。
結末が悲しすぎて、切なすぎて・・・
正直、自分の感情を上手く消化できなかったことを思い出しました。
愛というものについて、色々と考えた一冊でした。

投稿: こもも | 2007.01.03 12:37

こももさん、コメントありがとうございます!
お好きでしたか。いいですよね。結末は悲しいけれど。
それでも、よいものはよい。そう思います。
わたしもなかなか消化できなくて、やっと文章にしました。
先ほど教えていただいたのですが、どうもブラフマンという名にも、
秘密が隠されているみたいですよ。本当に深い一冊です。

投稿: ましろ(こももさんへ) | 2007.01.03 12:54

ましろさん、謹賀新年。
うちにはブラフマンのような動物がいます。
脊髄空洞症という病気で、目があまり見えず、ヨタヨタとしか歩けません。あっちこっちで粗相をするのですが、決まった場所で出来た時にはヨタヨタとやってきて、”見てみて!”と自慢します。
人間の勝手な思いこみかもしれませんが、心は通っていると思っています。なので、この小説は涙なしには読めませんでした。人はいつかは別れるということがわかっていながらいろいろと心を通わせます。その積み重ねこそが生きるということなのだなあなどと感傷的になってしまいました。

閑話休題
すごい更新量で羨ましい限りです。たまにはまた遊びに来て下さい。この小説の書評も載せています。
http://takezo.cocolog-nifty.com/zakki/2005/01/post_5.html

竹蔵

投稿: 竹蔵 | 2007.01.07 06:59

竹蔵さん、コメント&TBありがとうございます!
ブラフマンのような動物がいる、のですか!!!
すっごく見てみたい気がします。それでも懸命に生きているのですね。
たとえ人と動物でも、きっと心は通っている…わたしもそう思います。
別れの時が近づいていること。
実はわたしもここ数年、よく感じていることだったりするんですよ。
いつかは必ず訪れることながら、残酷なことだなと思いつつ、
その準備を今からしているところだったりします。
実はブログに載せている猫たちは高齢&病気(てんかん)持ちだったりするので。

更新頻度は11月12月だけもの凄く多くなってしまいました。
でも、1月はのんびりやってゆこうと思っております。
そちらにもお邪魔しますね!
最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願い致します!

投稿: ましろ(竹蔵さんへ) | 2007.01.07 10:56

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