« 僕たちは歩かない | トップページ | 海に落とした名前 »

2006.12.18

発芽

20051124_44105 心の奥底にひょっこり芽吹いた切なさをひた隠しにして、わたしたちは日々を生きる。いや、生きざるを得ない。誰かが切なくても時間は流れを変えないし、うつむいた先にあるのは、自分とよく似た存在だけだったりするのだ。悲しくも、これが厳しい現実というもので、どうにもこうにもやるせない。でも、やっぱり生きるしかないと思わなくてはならない。長谷川純子著『発芽』(マガジンハウス)は、そういう切なさを身に染みるように、きゅうんと伝える一冊である。特に女性にとっては、なかなか痛い部分を突いてくる。嗚呼、これこそ女の悲しき性ではないか、と。妙にリアルで、でもリアルじゃなくて、なんとも不思議な世界が描かれている作品である。

 表題作の「発芽」。これはある日突然、極めてデリケートな部分が発芽してしまう女性の話である。酔った勢いで不埒なことをしてしまった罰なのか何なのか、引き抜こうとすれば、とてつもない痛みが全身を貫く。こんな現象あるわけないでしょ…なんて読んだらいけない。発芽している当人にとっては、かなり深刻な悩みなのだ。誰にも言えない。かといって相談所に駆け込んだところで、どうにかなるものでもない。場所が場所だけに、その深刻度も増すというものだ。けれど、発芽したからには、成長するわけで、それを受け入れた先から、彼女の中で何かが変わり始めるのである。清々しいほどに。けれどやはり、読後に残るのは、何とも言えない切なさだった。

 続いては「愚天使昇天」「無精卵」「観覧車」。どの物語にも共通するのは、今置かれている場所を棚に上げて、理想のかたちを夢みているところ。理想というものは、理想化すればするほどに大きくふくらみ、自分の都合のいいかたちへと変化するもの。物語の主人公たちは皆、それをよく知っているはずなのにもかかわらず、厳しい現実から目を背けるように、理想のかたちに溺れゆこうとする。それにすがってでも、生きようともがき足掻いているのである。その切なさは、いつまでたっても大人になりきれない夢みる少女のようでもあり、夢と理想に諦め悪くしがみつく醜態にも思える。けれど、みっともないからこそ、彼女たちはリアルであり、どこかリアルでないのだ。

 この作品の中で印象的なのは、なんといっても切なさと孤独さだろう。誰かにすがるわけでもなく、誰かに寄り添うわけでもなく、半ば諦めつつも一人きりで生きようとしているところである。いくらみっともなくても、いくら夢みようとも、いくら理想に溺れようとも、芯にあるのは女性特有の強さみたいなものである。それは同時に、悲しき女の性でもあるけれど。一人で生きるということは、そういうことなのだろう。つまりは、みっともなく夢を見て理想を追い求める。これこそ、女たるもの。人間たるもの、なのかもしれない。そんなふうに思わされたわたしは、もっと醜態を晒してでも怖がらずに前へ前へと進まねばならないとさえ思うのだった。

4838715129発芽
長谷川 純子
マガジンハウス 2004-05-20

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

|

« 僕たちは歩かない | トップページ | 海に落とした名前 »

42 長谷川純子の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/13123265

この記事へのトラックバック一覧です: 発芽:

« 僕たちは歩かない | トップページ | 海に落とした名前 »