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2006.12.10

幽閉

20061207_006 歪んだ愛。その破滅的な響きに、わたしはしばし、酔いしれていた気がする。閉ざされた世界での、愛というものにも。憎しみと同時に芽生える、愛というものにも。その歪みが、深ければ深いほどに。激しければ激しいほどに。きっと、酔いしれていたに違いない。そして、破滅へ向かう愛というものにも、憧れさえ抱いていたのだった。甘美な煌めきすら見出しながら、アメリー・ノトン著、傳田温訳『幽閉』(中公論新社)を読んだのだから。孤島で暮らす老人と幽閉された少女の物語は、その設定からどんなふうにも想像をめぐらせることができる。そこに入り込む、語り手でもある美しい看護婦の登場によって、物語はさらなる展開を予期させながら、一気に読ませてゆく。

 看護婦は、少女に会う前に言われる。“外見について何も言ってはいけない”と。“事務的な質問以外いっさいしてはいけない”と。この二つの約束に背いたら、島から帰ることは許されない。少女はもうすぐ二十三歳になろうとしていた。五年前に爆撃にあった少女は、両親を亡くし、孤児となった。その爆撃で顔をめちゃくちゃにされた…そう信じ込まされている。囚われの身ながら逃げ出さないのは、そんな自分でも愛してくれる老人の存在があるからである。しかも、命の恩人でもある、感謝すべき人物であると、愛し、尊敬し、崇拝している少女。けれど、同時に感じる激しい嫌悪感は隠しきれるものではなかった。唯一の話し相手となった看護婦に、すぐに思いを打ち明けてしまうほどに。

 物語の中では当然のことながら、少女と看護婦との会話はすべて老人に聞かれている。だが、看護婦は美しいだけでなく、賢くもあったから、老人の事情を少しずつ知り得てゆく。驚くべき方法を持って。五年もの月日は少女の心を閉じこめるのに充分だった。けれども、どうにかして救いたい気持ちにかられてしまう看護婦。たったの五年だと。途中で少女と繰り広げられる、物語(パルムの僧院)をめぐる会話や愛に関する理論、老人に向けられた皮肉のような言葉が、なんとも愉快なのだけれども、その設定と結末を思うとき、複雑な気持ちになることは覚悟しておかなくてはならない。何しろ、少女は幽閉されているのだから。そして、なんと、著者が二つの異なる結末を用意しているからである。

 二つの異なる結末。どちらにしても、老人の歪んだ愛からは逃れられるものの、完全なるハッピーエンドとは言い難い。解き放たれた先に待っているものが何であるのか、それは読み手の想像次第である。どちらの結末をも用意したという点から考えると、老人がたとえ死のうと生きようとも、その呪縛からは永遠に解き放たれないということを意味するように思える。それに加えて、少女は孤児であるという点からして、看護婦を頼りに生きるしかないわけであるから、今度は看護婦の呪縛に囚われつつ生きることにもなりかねない。人は一人では生きられないとはよくいったもので、実はわたしたち誰もがなんらかの呪縛と共に生きているようにも思えてくるのだった。

4120035999幽閉
アメリー ノトン Am´elie Nothomb 伝田 温
中央公論新社 2004-12

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コメント

こんにちわ。
「殺人者の健康法」とこれを読んだんですが、どちらも、閉塞感たっぷりですね。
私としては、若い女流作家が老いるということにどうしてここまで固執するのかが興味深いですね。

投稿: 牧場主 | 2007.07.21 15:17

牧場主さん、コメントありがとうございます。
本当に怖いくらいの、すごい固執ですよね。
わたしは『愛執』も読んだのですが、こちらもまた濃い作品でしたよ。
この著者の作品は、今後も追いかけてゆきたいと思っております。

投稿: ましろ(牧場主さんへ) | 2007.07.26 10:53

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