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2006.12.17

僕たちは歩かない

20050511_44019 歩けども歩けども、我が努力はいずれもなかなか報われず。不本意ながら、これが世の中の仕組みの基礎となっている気がする。それは、社会的に弱い立場にいる人間の戯言にすぎないのかもしれないし、まだまだ歩けと、さもなければ走れという、人としての定めなのかもしれないが。古川日出男著『僕たちは歩かない』(角川書店)は、そこを敢えて“歩かない”と推奨する。<僕たち>は、終電に乗って行くのだ。こちら側とあちら側の狭間で揺れながらも、歩かない。歩かずに電車に揺られる。そして、そこから自分たちにできる最善の方法を見つけ出し、這い上がろうとする。もちろん努力はする。けれども無駄には歩かないのだ。常に最短距離。絶対に無駄には歩かない。

 物語は、あちら側の世界を描く。同じような境遇や経歴の者たちが、一日二十六時間の東京に集うのだ。いつのまにか、その数は増えゆき、それぞれがそれぞれに二十四時間の東京での生活を充実させてゆく。そこに至るまでの経緯はそれぞれ異なるものの、<僕たち>はあまりにも似ていた。似ているからこそ、集えたのだと言えよう。どこまでも無限に続く<僕たち>。時間の歪みに魅せられ、思うままに自分の力を試す場所。それが二十六時間の東京である。ある時、二十四時間での東京で出会った画家と、二十六時間の東京で出会い、<僕たち>は、彼を食事会に招待することにする。前菜とデザートだけの、彼の好みにぴったりのメニューを用意して。そう、<僕たち>は皆料理人なのである。

 時間の歪み。物語の中では、山手線に二分の誤差があることになっている。一周すれば六十一分。全部で二十九駅。その歪みに呑み込まれて、二十六時間の世界にやってくる。或いは、三色の信号の光る順番が異なるのを見つけてしまった瞬間に。或いは、別の方法によって。そうやってたどりついた場所は、闇に包まれており、誰もが眠ってしまった東京のようでもある。それとも、二十六時間の東京そのものが、いくつもの東京の一つにすぎないのかもしれない。だが、似た境遇の者たちが、集ってゆくその光景を想像するとき、心躍らされずにはいられない。だって、それは同じようにいつの日かを夢み、屈折した感情をも持ち得ているのだから。これ以上の奇跡というものがあろうか…というくらいに。

 物語は悲劇的な展開であるが、圧倒的な疾走感溢れる文体で、清々しいほどに未来を感じさせる。生きるということ。それは、悲劇と喜劇の繰り返し。そして、そのどちらにしても長く続くわけではないことを、もうわたしたち誰もが気づいているから。無駄な歩みを避けるようにこちら側とあちら側を行き来する<僕たち>には、そんなことは朝飯前のことに違いない。そして、表側も裏側をも知った彼らに立ちはだかるものなど、もう少しも怖くはないのではないかとさえ思う。彼らはそれほどまでに短期間に様々なことを学び、努力し、野心に満ち溢れていた。たとえ、それが一時的なものだとしても、彼らの過ごした時間や、仲間との絆は確かなものとして残るに違いない。いや、そうであって欲しい。

404873735X僕たちは歩かない
古川 日出男
角川書店 2006-12

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