« 青いリボン | トップページ | 夏の力道山 »

2006.12.24

ぼくの村は戦場だった。

20061003_016 人はどうして争うのだろう。人はどうして殺し合わねばならないのだろう。あの命もこの命も、どの命もきっと、同じだけの価値や可能性や未来があるはずなのに。与えられるべきなのに。この地球上では、こうしている今だって、紛争の真っ只中で息を潜めている人々がいるだろう。ほんの少しの希望を胸に、日々を耐えることを強いられている人々がいるだろう。幼くして夢を奪われた子どもたちは、その心を取り戻そうともがき足掻いているだろう。そんな人々の暮らしは、今のわたしにとってはひどく心に迫り来るものがあった。ジャーナリストである、山本美香著『ぼくの村は戦場だった。』(マガジンハウス)は、ニュースでは報道されない紛争の地での生の声を感じ取ることができるからである。

 この一冊は、アフガニスタン・イスラム共和国、ウガンダ共和国、ロシア連邦チェチェン共和国、コソボ自治州、イラク共和国という5つの紛争の歴史的背景と、その動向を真摯なまなざしで感じ取り取材している書物である。歴史や世界情勢に疎いわたしにとっては、かなり難しい書物ではあったが、「紛争の地」という言葉からイメージしていたものとは、それほどかけ離れた印象は受けなかったものの、それがどうして繰り返されるのか、どうして犠牲となるのが紛争には関係のない人々ばかりなのか、不思議で仕方なかった。同じ民族間でも争いが耐えない。宗教ひとつで大きく揺れ動く状況。平和ボケしたわたしの頭には、そのことの発端さえ、読み終えてもなお謎のままだったりする。

 さすが女性のジャーナリストだと感心したのは、紛争のなかでの女性の生き方について詳しく取材しているところだ。デリケートな問題から、おしゃれに関することまで、いくら紛争の地とは言えど、誰もが女性であることを放棄していないように感じられたから。そう、女性たちは、学ぶ権利を奪われてもなお、ひそやかに秘密の教室を探しては学び、着飾ることも忘れない。いつの日か医者になることを夢みる彼女たちの目は、きらきらと光ってもいるのだ。自由に発言すること。職業を選ぶこと。自由に生きること。そんなごく当たり前のことが、否定され、その権利を奪われてきたのにもかかわらず、彼女たちはまだ、僅かな希望を決して捨てずに生きている。生きてゆこうとしている。

 この本は、決して易しい本ではない。かといって、難しい本でもない。ただ、何度も読み返すうちに、自分の置かれている状況をふと見て、呆然となるのだ。わたしは一体、何のために日々を生きているのだろうか、と。日本は、かつて戦争のあった国。かつて国の中でさえ争いを繰り返していた戦国時代があった。原爆投下された国でもある…挙げていけば、今の紛争の地にも通ずる部分は少なからずあるのかもしれない。だが、同じ地球上にいながらも、どうして人々の暮らしはこうも違ってしまうのだろう。どんなに便利な世の中になろうとも、どんなに豊かな世の中になろうとも、誰もが完全に幸せに暮らせる日というのは、いつになれば来るのだろうか。厳しい状況下においても笑顔だった少女は、今どうしているだろう。

4838716850ぼくの村は戦場だった。
山本 美香
マガジンハウス 2006-11-22

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

|

« 青いリボン | トップページ | 夏の力道山 »

68 エッセイ・詩・ノンフィクション本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

ましろさん、mixiから遊びに来ました。

昔、僕が大学生だった頃に、内戦が続いていて悲惨な状況の、ある中南米の国の映像を見た。おそらく少し前の中東と同じような状況だろうと思う。
そのとき僕が感じたのは、陳腐な言い方になるけれど、子供の眼が何かきらきら輝いていて、生きている感じがすると言うこと。こんな悲惨な『筈の』状況なのに(正直、僕には実感できない)、なんでこんなに子供の眼が生きてるんだろうって思った。彼らは凄く土に根を降ろしている、生きていることに繋がっているように見えた。
あんな子供の表情は、日本では滅多に見ない気がする。日本の方が表面的には、恵まれていて平穏な筈なのに・・・。でも、生きていることに繋がっていない感じがする
           

投稿: 智野 | 2006.12.26 02:01

智野さん、コメントありがとうございます!
そう。確かにこの本の写真の子どもたちの目はきらきらしていました。
そして、ちゃんと地に足をつけて生きているように、わたしも思います。
同時に、彼らはきっとそれを意識してはいないのでは…という気がしました。
自然と身についているというか、無意識に学んでいるというか。
彼らの身の置かれた環境がそうさせるのかも知れないですね。
わたしは甘えた人間だから、ぬくぬく生きてしまって、恥ずかしい限りです。
恵まれているのに欲する自分を、もっと省みなくてはと思います。
考えさせられるコメントをくださって、ありがとうです。

投稿: ましろ(智野さんへ) | 2006.12.26 17:17

個人的に感じたことを一般論として書くと、なんか説教臭くなる気がする。別にましろさんが甘えているとは、ワシは思いませんぞよ。
生きていることに繋がっていないのは、実は自分の事なんですよね。
でも、やっぱり日本は行き難いと(日本人のワシはかなりの実感を込めて)、思うのであった・・・まる
      

投稿: 智野 | 2007.01.04 01:36

智野さん、再びコメントありがとうございます!
説教臭くてもいいじゃないですか(笑)よいよい。そう思います。
生きづらさみたいなものは、誰しも抱えているのかも知れないけれど、
苦しいときには「苦しい」と言えるような自分になりたいです。
でも、あまのじゃくだから言えないのです…まる

投稿: ましろ(智野さんへ) | 2007.01.04 17:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/13184737

この記事へのトラックバック一覧です: ぼくの村は戦場だった。:

« 青いリボン | トップページ | 夏の力道山 »