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2006.12.19

海に落とした名前

20041212_9999007 時間と時間を縫うように紡がれた文章は、なんとも不思議な心地にさせてくれる。その無限なる連なり。或いは繋がりを思うとき、わたしはただ呆然と立ちつくす。自分の生きている世界の小ささに。世の中をあまりに知らないということに。そして、いつからか組み込まれたわたしの思考回路は、混乱をきたすのだ。わたしは一体、これまで何をしてきたのだろう、と。多和田葉子著『海に落とした名前』(新潮社)は、そんな思いを掻き立てる一冊だった。ここにある世界は、どこまでも遠くへ伸びゆくように思えたから。どこまでも深みにはまってゆくように感じられたから。そう、この人は知っている。わたしの足りない部分を、すべて見透かしているのだ、と。

 表題作「海に落とした名前」は、飛行機事故のショックから、自分に関する記憶を失ってしまった女性が主人公である。自分を証明する手段は、たった一週間分のレシートだけ。モノの名前や概念は忘れていないのに、自分に纏わるあらゆるものが欠落してしまったのだ。その女性を熱心に世話する兄妹が現れて、彼女の過去を探ろうとするものの、<わたし>という存在はますます曖昧にぼかされてしまう。誰を信じればよいのか。誰を頼ればいいのか。自分の存在がわからないゆえに、彼女は一人苦悩する。だが、苦悩すればするほどに、何もかもが曖昧になってゆく。過去の自分を取り戻すべきか。新しい自分を受け入れるべきか。そもそも自分とは何者か。難しい問題である。

 ここでの苦悩は、深刻ながら思わず笑みを誘う。主人公は自分に纏わるすべての記憶をなくしてしまったゆえに、どこかとぼけているようでもあるし、あくまでも他人事のように身を構えているところがあるからだ。そして、彼女の思考は様々なものに影響を受けやすく、つい誰かの言葉に流されてしまう。また、誰かを疑いだしたら、何もかもが信じられなくなってしまう。自分という確固たる存在がないということが、そうさせるのだとしたら、恐ろしくも滑稽である。そんな中で、彼女が彼女なりに考えるすべをほんの少し読みとれる後半部分は、とてもほっとする。もしかしたら、それは間違った道かもしれないけれども。それでも、彼女自身が決めたことに違いないから。

 他に収録されている「時差」「U.S.+S.R. 極東欧のサウナ」「土木計画」も、それぞれ味わい深い作品である。中でも「土木計画」の妙には、ぐっと引き込まれた。雑多なモノをすべて排除した生活の中にある、なんとも言えない寂しさと孤独とを、感じてしまったゆえに。この物語の世界には、もはや人と猫との区別も曖昧になり、人間関係は希薄になり過ぎている。それは、主人公が望んだことでありながら、彼女はどこかでそれを否定したい衝動にかられているように感じられる。「時差」での、濃密なまでの人間関係とは真逆の話である。人はどこまでの濃さで関わり合うべきか、どこまでの束縛が許されるのか、ごく個人的な問題だけに、その解釈はますます難解になってゆくことだろう。

4104361038海に落とした名前
多和田 葉子
新潮社 2006-11-29

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» 「海に落とした名前」 [don't worry!な毎日]
 実は私、今日から学校での仕事がお休みなのである。 やらねばならない家の中の仕事は山のようにあるが、ちょっと余裕なのである。  それで小説。  そうなんだ、普段はどうしても仕事に関係する本を読むことが多い私。 こういう余裕の時に、小説を読めたりするのは、ホント、嬉しい。  多和田葉子さんが書いた「海に落とした名前」という小説を読んだ。  NYから東京の向かう飛行機が不時着した。生き延びた「わたし」は、 記憶を消失していた。自分の名前も住所も、何をしていたかも。 自... [続きを読む]

受信: 2006.12.22 21:55

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