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2006.12.08

エルサレムの秋

20050721_44017 二つの思いの狭間で揺れることがある。例えば、好意と嫌悪の狭間で。愛おしさと憎しみの狭間で。喜びと悲しみの狭間で。そこには、蠢き始める感情に逆らうように、何でもない素振りを見せようとする偽善的な人間の姿がある。いや、誰もが皆、偽善的に生きていると言った方がいいかもしれない。それほどまでにわたしたちは自分の本性を隠して、当たり障りのない言動を繰り返しているのだから。道徳という名の下に。大人という身分ゆえに。さらけ出すことの危険を知っている者たちだけが生きやすい、この世の中。そういうものに慣れっこになっている、わたしたちがいる世の中。いや、慣れっこになっている振りをしている、わたしたちがいる、のだと言った方がいいと思う。

 アブラハム・B・イェホシュア著、母袋夏生訳『エルサレムの秋』(河出書房新社)を読みながらめぐらせたわたしの思考は、揺れに揺れ蠢いた。それは、相反する二つの思いがあまりにも人間的で、その心理をしかと捉えていたからである。これまで様々な書物を読みあさってきたわたしにとって、この作家の作品はある意味衝撃とも言える。確かにある現実と、遠くにある過去。そして、淡い未来。また、過去を巻き込んでめぐらされる思考。その絶妙なバランスが、はじまりからおしまいまで途絶えることがなかった。抑制の効いた文章の中に、頻出する詩的な描写はひどく心を掴まれるし、未知の国であるイスラエルという国についての想像を良くも悪くも、掻き立てられた作品であったから。

 表題作「エルサレムの秋」には、かつての愛した女性の子どもを三日間だけ預かる男性の、複雑に揺れる心理が描かれている。彼は、キブツ(集団農業)を去り、エルサレムで高校教師をしながら、大学の卒論に奮闘している男である。女性とその夫は、半ば強引に大学の入学試験の間だけ幼子を預けてゆく。しかも皮肉なことに、その幼子はかつて愛した女性にそっくりなのだった。彼は、幼子の扱いなど何も知らず、甘やかしては痛めつけるようにして、報われなかった愛と、その復讐との狭間で揺れ蠢くのである。その心理を追ってゆけばゆくほどに、彼の孤独感はあまりにも痛切に胸に響いてくる。言葉や気持ちや行動など、それらが不毛なほどに痛々しくも、どうしてか不思議と清々しいものとして。

 他に収録されている「詩人の、その絶え間なき沈黙」では、既に筆を折った老いゆく詩人と、その境界線上にいる息子との日々が描かれている。老いてからできた息子ゆえに、詩人は自分の死を予期し始めているかのように思われる。息子は十七歳になってようやく、小学校を卒業するわけだが、ある授業で父親の詩が取り上げられたことにひどく心躍らされてしまう。そして、父親をせき立てるように、詩を書く真似事を始めてしまうのだ。言葉を捨てた父親の悲哀と、言葉を持とうとあがく息子の姿。その対比が、なんとも切ない。やがて、老いゆく父親は旅立ちへと向かう。それでも、最後まで息子を案じて、旅立とうと決意させたものを思うとき、さらなる物語の深みを感じずにはいられない作品である。

4309204678エルサレムの秋
アブラハム・B・イェホシュア 母袋 夏生
河出書房新社 2006-11-08

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