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2006.12.26

夏の力道山

20050721_44132 足りないものを埋めて欲しい。例えば、心の奥底を。その虚しさを。その憤りを。その悲しみを。甘っちょろいわたしは、心の中でそう呟く。けれど世の中、それほど甘くはない。だから、やんわりと奥底に塵が積もってゆくのを待つ。ただ待つだけでは生きてはゆけないから、生活する。即ち、生きて活動するということ。なりわい、である。要は何事も資本だ。それが、人間の身体そのものでもあり、お金でもあり、他のものでもあることになる。夏石鈴子著『夏の力道山』(筑摩書房)を読んでみると、そんなことを思い知らされる。嗚呼、行動するべし。学ぶべし。働くべし。食べるべし。何はともあれ、生きるべし。あたりまえながら忘れがちな、人としての営みを。

 働く主婦。これが、物語の主人公である。夫ももちろん働いてはいるものの、稼ぎは妻である豊子の方が上である。かといって、夫が家事を手伝うわけでもなく、五歳と三歳の子どもだっているという状況だ。出勤前に朝ご飯を作り、温めるだけでもいい夕ご飯を作り、なおかつ保育園へ子どもを送り、ようやく出勤できる。仕事から戻ったら、シッターさんと交代して母となる。そんなスーパー主婦、働く主婦の日常は、なんとも長い。自分の稼いだお金で暮らして、子どもも産み、家事もして…今の世の中に働く女性は多いものの、その実情というものを痛感させられる展開である。パワフル過ぎて、とてもマネなどできないけれど、同じ女としては痛快に読める。

 この主人公、豊子。お母さん的役割だけじゃなく、お父さん的役割もすべてこなしてしまっている。なのに、どうして結婚したかと問われてみれば、“だって、愛しちゃったんだもん”と答えるしかない。その言葉に、男性は立場をなくすに違いない。けれど、豊子の夫である明彦は悪ぶれる様子もないのだから愉快だ。二人合わせなくても事足りるけれども、二人合わせてしっくりくる。そんな関係なのだ。もちろん、豊子に不満がないと言えば嘘になる。物語の中には、豊子の本音が渦巻いているのだから。でも、それを表に出さずにいることこそが、世の中を上手く生きてゆくすべなのだろう。豊子はそれをちゃんと心得ているのである。さすが、働く主婦である。

 しかし、物語をよく読んでみれば、はじめから豊子がそんなにスーパーウーマンだったわけではないことが伺える。夫の明彦曰く、できそうもなかったことを結婚してからできるようになってきて、隠れていた才能を発揮しているらしいのだ。また、豊子の友人であり、仕事上のパートナーでもある緑という女性の存在も大きいだろう。無駄なくそつなくなんでもこなしてしまうことを知っている人、とでもいうべきだろうか。本来ならば、世の中ではあたりまえのことなのだけれども、そのあたりまえのことをできる人というのは、意外にも少ないのが現状だ。そこがなんとも痛いところである。そう、わたしがそのあたりまえのことをあたりまえにこなせないだけに。嗚呼、身に染みる。

4480803971夏の力道山
夏石 鈴子
筑摩書房 2006-09

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コメント

当たり前のことを当たり前にするだけでも、すっごく難しいと僕も思います。でも、生き続ければ少しずつ強くなれるのかもしれませんね。

投稿: るる | 2006.12.27 02:58

るるさん、コメントありがとうございます!
生き続けて。生き抜いて。そうやって強くなれたらよいですよね。
お互い大変だけれども、励みましょう。励んでみせましょう。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2006.12.27 06:48

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