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2006.12.28

潤一

20061124_029 時間は流れてゆく。特別なことと、何気ないことを繰り返して。たいていの何気ないことは、特別なことに負けてしまうけれど、それでもほんのささやかな出来事は、わたしたちを確実に変化させてゆく。無意識のうちに。そっと。ひそやかに。ときには、あっという間に。そういう時間は後になってからじわじわと染みてくるもので、その時にはきっと誰もがわからない。ふとした瞬間に思い出すのだろう。そういえば、あんなことがあった。こんなことがあった。あの時のわたしはああだった。こうだった。今となっては可笑しいくらいね…なんていうふうに。井上荒野著『潤一』(新潮文庫)は、そんなとどまることを知らない時間の流れを感じさせる連作短編集である。

定職に就かずにふらりと漂うように生きる男、潤一。彼は数々の女性を魅了してしまう。どこにでもいそうな、けれどいなそうな、“濃い匂いをたてる南国の果実を連想”させるような、華奢な骨格の、藁色をした髪の青年だ。物語は、潤一をめぐる九人の女性たちを描いてゆく。いわゆる不良と分類されるべき存在の彼が、なぜもこんなにもモテるのか。彼に出会った途端になぜ、女性たちは心を許し身体を許してしまうのか。その不思議が常につきまとう展開である。物語の中盤まで、わたしはその問いの答えを見出せずにいた。特にその潤一をめぐる女性たちの心理というものがわからなかったのだった。しかし、同時に、その女性たちよろしく潤一に惹かれてもいたのだった。

 惹かれる。その不思議は、日常に隠されていると言ってよいと思う。どの女性たちも皆、退屈な生活を送っている。何気ない日々に埋もれるように、その苦痛に耐えるかのように生きているのである。そんな時、ふっと潤一が現れる。ひょうひょうと、それでも圧倒的な存在感を持って現れるのである。彼を見つめずにはいられない。彼から目をそらさずにはいられない。そして、彼もまた、それに答えるかのように、彼女たちに引き寄せられてしまうのである。恋心にも似た、その感覚。そのつかの間の時間。女性たちは、潤一に救われる。いや、救いを見出しているように思える。だから、潤一という男性に翻弄されているのは女性たちではなく、他でもない潤一本人なのかもしれない。

 一方、肝心の潤一はと言えば、ただ時間に流されているだけなのである。気ままに足の向くままに、その流れに身を任せて。求められれば、それを受け入れる。望まれれば、それに答える。そうやって現れては、ふらりふらりと去ってゆく。なんとも宙ぶらりんな状態なのであった。それでも、女性たちは彼に惹かれる。彼にずっととどまっていて欲しいとは思わないからこそ惹かれる。一瞬でもほんのささやかな時間だけでも、彼との共有した時間があればそれで満足なのである。きっと、虚しいのは潤一である。けれど、彼は彼なりに生きるしかない。潤一はあくまでも潤一。そう生きるのが、彼の運命なのかもしれない。そして、そんな彼に惹かれてしまうのも、運命の為せるワザというものなのだろう。

4101302510潤一
井上 荒野
新潮社 2006-11

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