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2006.11.26

おとなは知らない

20061125_002 わたしは知らない。子どもがいつから、純真無垢でいられなくなるものなのか。子どもがいつから、無邪気さを武器にしはじめるのか。自分が通ってきた道のはずなのに、わたしは知らない。何もかもが遠い記憶の果てに追いやられて、いつのまにか自らの手で蓋をした。忌まわしい記憶から逃避した。だから知らない。大人となった今では、もう子ども時代の心持ちを知らない。思い返したところで、本当の意味では何も知らない。シモーナ・ヴィンチ著、泉典子訳『おとなは知らない』(早川書房)は、そんなことを思わせるほどに、自分の無力さと無知さ、忘れてしまった記憶と失われたいくつもの感性を刺激される一冊である。その内容の衝撃。そこに漂う虚しさ。子ども時代とは、あまりにも酷だと気づくのだ。

 物語の舞台となるのは、小さな田舎町。小さな子どもたちにとって、少しばかり年上の子どもたちは、遥かに大人びて見える。そんな頃。自分の身体の変化に気づきはじめる、ほんの少し前の頃。十歳のマルティーナを含める四人の子どもたちは、少しだけ年上のミルコの誘いにのって、打ち捨てられた倉庫に集まった。そこで彼らが目にしたものは、子どもたちの知らないポルノ雑誌の数々。そして、それを見つめながら自分の股間に手を伸ばすミルコの姿だった。マルティーナは、その光景に恐れおののきながらも、不思議なおののきも同時に感じる。少し怖くて、素敵な遊びだ、と。やがて、彼らは雑誌の真似事をはじめ、もう戻れない道へと踏み込んでしまうことになるのだった。

 大人の目の届かない場所で、彼らが繰り返した真似事。それには、実は大人の企みが隠されている。子どもたちの中でのリーダー格のミルコを悪巧みに導いたのは、まぎれもなく彼らよりはずっと大人であったし、そもそも過激な雑誌を欲望のままにしているのは、大人たちであった。子どもたちの真似事遊びには、欲望も愛も何もない。ただの真似事。真似事を楽しむという遊びでしかない。それが、次第にエスカレートしはじめたところから、狂いだしてしまうのだ。そこにある無。なんとも言えぬ、虚しさ。ただの遊びだったはずのものによって、犯してしまった罪。子どもたちは、それを罪とも知らずにただじっと見ている。そうすることしかできないことを、知っているかのように。

 性的なこと。わたしがそれを知ったのも、きっと大人には想像もつかないところでだ。マルティーナよりもずっと幼くて、まだ何も知らなくて、やっぱり欲望も愛も何もなかった。それは決して、遊びではなかったけれど、わたしの周囲ではきっと、遊びだったに違いない。何も知らないわたしは、知らないがゆえにただ従って、押し黙っていた。そこにあるのは、沈黙に耐えるだけの心持ちだけ。無意識のうちに気づくのだ。これは、秘密にしなくてはいけないのだ、と。そうさせる何か。そうさせるもの。掻き立てるもの。その正体をわたしは未だに知らない。だからこそ、今もなお、引きずる思いが疼いているし、忘れるすべさえも知らない。子どもだったわたしは、もう確かにいないというのに。

4152083468おとなは知らない
シモーナ ヴィンチ Simona Vinci 泉 典子
早川書房 2001-05

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