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2006.11.30

絵小説

20051109_005_1 ざわっと、ざわめく記憶。曖昧な、けれど忘れ得ない記憶。その記憶を手繰り寄せてみては、不確かな手応えを感じる。そう感じるがゆえに、自らの手で余計な脚色をする。記憶はやがて確かになるものの、それはもはや真実をこえてしまう。いつのまにか美化され、儚くも朽ち果てる本当の記憶。夢は夢のまま。幻想は幻想のまま。真実は闇の中に封印したまま。真実なんぞ、さもいらないかのように。わたしはいつまでも浸っていられる、都合のいい世界をつくる。夢の中で。幻想の中で。そうやって現実から逃げるように浸っていても、罪じゃないだろうか。皆川博子著、宇野亞喜良画『絵小説』(集英社)は、そんな思いを疼かせる。とびきり美しい作品だ。いつまでも浸りたい世界がここにはある。

 著者が選んだ詩。それに画が加わり、物語が紡がれる。記憶を手繰り寄せるようないくつもの物語は、それぞれが違う煌めきを持って、読み手の心にするりと入ってくる。あまりにもするりするりと入ってくるものだから、その夢を、その幻想を自分のものにしたくなるほどである。それらの現実と幻想の狭間で揺れながら、揺れることを楽しみながら、わたしはわたしの記憶に色をつけてゆきたくなった。もっと色を。もっと色を。際限なく求める思いは、やがて愚かしいまでの欲望を掻き立てる。見たこともない光景を思い描いて、知るすべもないことを知っているふりをする。そうして、わたしという輪郭が歪みはじめてから、ようやく気づくのだ。ああ、これは夢だった、と。

 わたしが一番心惹かれた作品は、「美しき五月に」である。十五歳までしか生きられない少女の、その生の繰り返しを描いている作品だ。少女には過去の記憶が残っている。生まれてから海に還るまでの記憶が。それも、何度も生まれては死ぬという、時をこえた記憶が。そして、必ず彼を見つけるのである。彼が少女に気づいているのかどうかは、わからない。でも、少女は彼に気づいてしまう。いつのときでも彼であると、知ってしまう。確かに覚えているのだ。その彼に見出した少女の性の愉楽。愛とは違う、倒錯した思いに気づいた瞬間。その内面の独白が続くのである。十五という年齢での歪み。微妙に揺れ動く感情。つぶさに感じ取れるひとつひとつのことに、わたしは心揺さぶられた。

 この少女の中には、過去も未来も現在もないはずだった。海に、はじまりも終わりもないのと同じように。海から生まれ、海に還るのだと信じていたから。どの生も同時に、在る。そう思っていたから。いや、確かだと知っていたから。時の流れが一直線にあることを知った先から、少女の中で何かが崩れゆく。そして、何かが目覚める。十五までの命と知っている少女の中で何かが蠢き始める。その蠢きに浸りながら、わたしは海を見た気がした。海の中にいる心地になっていた。まるで自分が、海に還る前のような心地に。本当は山の女のくせに。海などほとんど知らないくせに。もはや十五でもなければ、少女でもないくせに。この蠢きに呑まれてしまったのだった。どっぷりと。

4087748162絵小説
皆川 博子
集英社 2006-07

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