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2006.11.06

20050610_44106 胸がいっぱいになる。たまらない愛おしさで。狂おしいほどの優しさで。やわらかくあたたかな物語は、残酷にもいつまでも余韻として、何かしらをそうやって胸の奥を疼かせるものだ。小川洋子著『』(新潮社)は、そんな思いでいっぱいになる短編集である。そこにはもちろん、愛おしさや優しさばかりではなく、人々の痛みも小さなほころびも見逃さない、冷酷さもある。けれど、不思議なことに余韻として残るのは、やわらかなあたたかさばかりなのだった。7つの物語それぞれに満ちる世界は違えども、残る余韻が同じであること。そこに著者ならではの作風というものを感じてしまう。ゆっくりじっくり何度も読み直したい物語たちが、ここには詰まっているから。

 まずは、表題作「海」。恋人の家を訪れた主人公と、その弟との出会いの一夜を描いている。この弟。不思議な未知なる楽器を奏でることができるのだ。それも、海からの風が届かないと演奏できない楽器である。木箱にしまわれているその楽器への興味もさることながら、物語の端々に散りばめられた幾つものユーモアにも目が奪われてしまう。例えば、引き出しの中に隠されるようにしてしまってあるサイダーとか、眠る前に必ず観るという動物番組(内容は、その名も“死に真似”)とか、主人公が好きだという恋人のホイッスルを吹くときの唇だとか…。細やかな気配りを感じさせる装飾が、なんともいい心地にさせてくれる。自分の身の回りに、そういう装飾を探してしまいそうになるほどに、好ましい。

 続いては「ひよこトラック」。もうこの作品の魅力は、“沈黙”に尽きるだろう。言葉というものの無意味さを感じつつも、心ではやはり言葉で感じ合っている。伝え合っている。そんな物語である。ドアマンの男性が引っ越してきた先で出会う、口のきけない少女。その少女はなぜか、その男性に少しずつゆっくりではあるけれど、心を開いてゆくのである。また、男性の方も、どう接してよいものか戸惑いつつも、その距離をじっくり縮めてゆこうとするのだ。そのもどかしいやり取りの中には、同じものを見て同じことを感じるまで、“待つ”という視点が存在している。やみくもに待つのではなく、寄り添うようにして“待つ”。近すぎず、遠すぎず、微妙なバランスの中で物語は進むのだ。

 最後に、「ガイド」。ここでの関係で見事なのは、母と子。その思い合う姿勢というものに、ぐっと胸に込み上げるものをわたしは感じる。それは、直接的ではなくて、間接的であるにしても、である。読み手の多くはきっと、奇妙な老人と少年との出会いに目を引くのかもしれないが、その出会いを深くしたのは、母親を思ってこその、少年の気持ちである。奇妙な老人は、奇妙な脇役のまま、わたしはそっと放っておきたい…そのくらいのものでしかないのだ。わたしにとっては。ごくありふれた母と子のやり取りの中に、そうっと密やかに隠したものを見つけ出したとき、わぁっと込み上げる何か。嗚呼、言ってしまいたい。でも、胸に秘めておこう。わたしだけのものとして。ふふ。

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小川 洋子
新潮社 2006-10-28

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コメント

ましろさん こんばんは。
日曜日に本屋さんで、この「海」を見て一度は手に取ったのですが、まだまだ積読本が沢山あるので、やめとこうと棚へ戻しました。
ましろさんのレビューを読ませていただいて、買ってくれば良かったと後悔しているところです。
あ~!!読みたいよ~状態です。

今、角田さんの「Presents」を読んでいます。
装丁の美しさに惹かれてつい買ってしまって読まずにいた本なのですが、とても良い感じでした。
昔の自分を思い出し、重ねたりしてグッときてしまうところも多々ありです。
角田作品は合わないかな~と思っていたのでちょっと嬉しかったな。

投稿: マリリン | 2006.11.08 23:55

マリリンさん、コメントありがとうございます!
わたしも積読本が山のようにあります…。
それなのに、つい買ってしまうし、借りてしまう悪循環状態ですよ(笑)
でも、わたしにとって小川洋子さんだけは別格なので、
出たらすぐ買う&読む、唯一の作家さんなのです。

そういえば、角田さんの作品。もうずっと読んでいません。
借りてきた14冊を読み終えたら、次は角田さんの作品を借りてきます!
「Presents」。探してみますね。

投稿: ましろ(マリリンさんへ) | 2006.11.09 20:02

ましろさん こんにちは。
昨夜、「海」読み終えました。
おっしゃるとおりとても良かったです。
ましろさんが取り上げていらっしゃる三篇、私も全く同感です。
ましろさん同様、私にとっても小川洋子さんは特別な位置づけの作家さんになりそうです。
益々、ましろさんのレビューを参考にして本選びをしようと思いました。
ありがとうございます。

投稿: マリリン | 2006.11.22 09:27

マリリンさん、再びコメントありがとうございます!
「海」読まれたんですね。なんだかとっても嬉しいです。
気に入ってくださってよかったです。今、安堵しています(笑)

そうそう、わたしもマリリンさんの読まれた「Presents」、
本日読み終わりましたよ。途中で挫折しそうになりましたが、
すらすらと読めました。やはり、よかったです。
オススメしてくださって、ありがとうございました!
レビューには、かなり私情が入ってしまいましたが…
そんなときもあってよいかな、と。はい。

投稿: ましろ(マリリンさんへ) | 2006.11.22 19:15

こんにちは。
最近、小川洋子さんの本をちょっとずつ読んでいっているのですが、この「海」すごく良さそうですね。今度読んでみます。

投稿: *yuka* | 2007.06.11 09:47

*yuka*さん、コメントありがとうございます!
はい、この作品とてもいいですよ。
もちろん、他の小川洋子さんの作品はどれも好きですが、
短編集だとぎゅっと濃縮されているようで、
大事に大事に読みたくなります。

投稿: ましろ(*yuka*さんへ) | 2007.06.12 22:42

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