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2006.11.29

名もなき孤児たちの墓

1010102_gurenn99 内面をえぐられる。そこにある吐露。そこにある真実。そこに横たわる自分自身に。どうしても掻き立てられるそれらに、じっと耐える。耐えなければと思いながら、耐える。目を背けることも忘れて、じっと耐える。そうしている間に怒濤のように流れ込むものに、わたしは何かを掴み損ねたことを悟る。気づいたときには、もう遅い何か。もう二度と手に届かない何か。過去に失ってしまった何か。そういう類のものを悟るのだ、と。中原昌也著『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)を読みながら、そんなことをぼんやりと感じていた。そして、自分というものの根底にある何かを、探らなければならない衝動にかられた。けれど、それは簡単に見つかるはずもなく、虚しく時間ばかりが過ぎていった…。

 表題作「名もなき孤児たちの墓」に限らず、どの作品たちの主人公も自分の内面をつらつらと呟く。心の中の声で。一人きりで。特にこの表題作の主人公の場合は、他者との関係を極限までに閉ざし、感情を押し殺している。表情は、もちろん無表情。それが他者を不快にさせないためのマナーだと、考えているような男である。それが、自分の存在をアピールするために有効な手段ではないかとすら、考えているのだ。読みながら、その男の思考というものに流されたわたしは、ふっと口元をゆるめざるを得なかった。そして、どこを見つめるわけでもなく、視線を泳がせてみた。読んでいたはずの文字はぼやけ、わたしは無になろうとした。なんだか無になれそうな気がしたのだった。

 しかしながら、そうできたからといって、なにも起こらないし変わらなかった。当たり前のことだ。それに、無になる境地にまで至るには、結構な時間が必要な気がした。むしろ、ただ病的に思われるだけのような気がしたのだった。“主人公よ、君は病んでいるぞ”なんて、言ってやりたくもなった。けれど、活字に向かってそんなことを言うのも馬鹿馬鹿しく、やっぱり虚しく時間は過ぎ、わたしは自分の愚かさを再確認しただけのことだった。読んでは思考し、思考しては読み…そんな読書をしていたら、いつまでたっても一冊を読み終えることなどできないというのに。時間の使い方そのものを見直した方がいい。そもそも、読書なんぞに耽ることは、どれほどの知恵となるものやら…云々。

 そうして、しまいには自分の思考そのものが疑わしくなってゆく。いや、疑わしいものだと思わされずにはいられない展開が、この作品自体に描かれているのだ。これまでの記憶。これまでのわたし。これまでの何もかもすべて。そう、この世の中のすべてが、何もかも疑わしいくらいなまでに。内面をえぐられたわたしは、えぐられた自分自身を見てはっとする。はっとしながら、ただ耐えることだけを強いられる。周囲にはこんなにも疑わしいことが溢れていたことに。そして、わたし自身そのものの存在の、あまりにもちっぽけな存在そのものに対して。そんなちっぽけな存在ですら、疑わしいことにも。わたしはここにいるのだっけ。ここにいてもいいのだっけ…なんて思うほどに。

4104472026名もなき孤児たちの墓
中原 昌也
新潮社 2006-02-23

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