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2006.11.01

たわむれ

20050729_44020 ささやかなる戯れ。それをわたしは何と想おうか。初恋とも微妙に違う、甘酸っぱいけれども切なくて、決して寂しさではないのだ。もちろん、悲しくもない。想いは想いのままに。憧れは憧れのままに。冬が長く、雪の多い土地で繰り広げられる、アントン・P・チェーホフ作、ユーリー・リブハーベル絵、児島宏子訳による『たわむれ』(未知谷)は、まさにそんな、ささやかなる戯れの時間を描いているのだ。淡く短い儚き想い。それは、あまりにもあっという間に過ぎ去ってしまう。季節の移り変わりと共に。そっと。ひそやかに。雪解けと共に。ささやかなる戯れは、そこでいつまでもじっと残る雪のごとく、心の中に刻み込まれる。そして、再び季節の訪れと共に思い出されることもあるだろう。

 厳しい寒さの冬のロシア。いずれはこの地を離れる主人公と、彼の愛するナージャとの物語は、その雪原のそりの上で展開される。そりにひどく怯えるナージャ。そこにある恐怖と興奮の入り混じった中で、風のごとく聞く「愛しています」という声。もちろん、これは主人公の言葉に違いないのだけれど、ナージャは愛の囁きどころの心境ではないのだ。だから、何度も何度も恐怖に怯えながら、そりに果敢にも挑むのだった。忘我の中にいるナージャは、誰の囁きなのかもわからぬまま、1人でもその声が聞こえるのかどうか、試してみたりもする。実に可愛い乙女である。純粋過ぎるのか、ただ単に鈍感なのか。それでもやはり、乙女然としていることに間違いはない。

 成就することのない想いというものを、あえてナージャの苦手なそりの滑降の真っ只中に囁くということ。わたしはそこに、ある意味、戯れを超越したものを感じてしまう。切実なる囁きながら、ささやかなる戯れの中に、一瞬でも至福の時を希求するような。なんとももどかしいものではないだろうか、と。一方では、当人には直接何も訊かぬまま、その愛の言葉を胸に秘めているナージャもまた、この想いが淡く儚いものだと知っているような気もする。或いは、まだ幼すぎたからなのかもしれないが。チェーホフの云わんとするところの乙女。それが垣間見られる物語である。それは、『可愛い女』にしても『中二階のある家』などでも感じられることである。

 この物語。実は何度か結末をチェーホフ自身が変えているらしい。解説によると、最初の設定では、主人公とナージャが結ばれることになっていたというのだ。けれど、最終的には、この絵本版の『たわむれ』のように、惹かれ合う2人は永遠に別れたままの物語になったそうである。その違いは、この物語の余韻を確かに左右するもので、どちらにしても美しくありながら、読み手の受け取り方をだいぶ変化させてしまうことだろう。また、翻訳に関しても、これまでのものとはだいぶ異なる点が多く見受けられる。簡潔で読みやすく、あれこれと装飾がないのだ。しかも、美しい絵と共に楽しめる。チェーホフが最終的に求めた文章というものをかなり意識して翻訳されたことが、これまでのチェーホフの作品とは違う印象を与えている気がする。新しいチェーホフ。一読あれ、の作品なのである。

4896421493たわむれ
アントン・P. チェーホフ 児島 宏子
未知谷 2006-02

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