« いたずらハリー きかんぼのちいちゃいいもうと その3 | トップページ | 在日ヲロシヤ人の悲劇 »

2006.10.28

可愛い女

20051130_44009 乙女としたら、一度は言われてみたい“可愛い”。けれど、アントン・P・チェーホフ作、ナターリャ・デェミードヴァ絵、児島宏子訳『可愛い女』(未知谷)でいうところの、“可愛い”は、少し雰囲気の異なるものである。それは、ある意味究極の“可愛い女”なのだ。ロシアというお国柄もあるのかもしれないが、どこまでも従順。どこまでも愛する人に属し、その色に染まる。自分という概念をも忘れて、あるいは見失って、その分身のようにもなってしまう類の“可愛い”なのである。男性側としたら、そういう自分に対する絶対的な肯定に対して、喜ぶ者もいるかもしれないし、ただ単に面白味のなさを感じて退屈に思うかもしれない。鬱陶しいとまで、言う人もいるだろう。究極の“可愛い女”。そのデフォルメ的に理想化された女性の物語が、この作品なのである。

 この可愛い女である、オーレンカ。彼女は、誰かに属することにたけている。同時に、自分というものが欠けている。かつて、かの有名なフロイトは、精神構造の在り方というものを、無意識的な本能エネルギーであるイド、現実適応のための抑圧や防衛機能であるエゴ(自我)、倫理や良心や道徳にあたるスーパーエゴ(超自我)とに分類した。その役割のバランスの中で、無秩序で本能的なものであるイドとエゴは対立し、エゴはスーパーエゴとしばし葛藤を引き起こすとした。そういう観点に立って考えてみると、この“可愛い女”である、オーレンカは、自我というものの根本が変わっていると推測される。それゆえに、自分の意見というものがない。愛する人の言葉をそのまま吸収して、考えることなしにその言葉をただ繰り返すのである。

 小難しいことを書き出してしまったが、このオーレンカの精神構造が、あまりに特異なものであるから、わたしはそこにひどく興味を抱いてしまったのだ。オーレンカは、愛する人がいてこそ、輝き、“可愛い女”と周囲に思わせる能力にたけていた。けれど、同時に欠けるものがあった。それは、本来あるべき彼女という人間の自我や本能だった。物語の結末では、彼女が女盛りを過ぎたことを自覚した後、それに目覚めるところで終わっている。そんな中で、なんとも悲劇的な人生とも思えてならない部分がある。それは、彼女が誰かに属さずには生きることができない、ということである。幸福は長く続くものではない。けれど、残酷にもそれは、いつでも彼女のすぐ傍に横たわっているものであるから。彼女だけではない、けれども。

 彼女が最期にたどりつく場所。心の拠り所となるもの。それは、誰にもわからない。これまでおざなりにしてきたものに新たな何かを見出すかもしれないし、永遠に変わらぬ道を歩み続けるのかもしれない。そして、つい考えてしまう。自分の女性としての、在り方というものについて。わたしは本能に従っているだろうか。わたしは客観的に自分を見ることができているだろうか。世間でいうところの、人並みの欲求というものが、はたしてあるのだろうか、と。まだまだ発展途上(と思いたい)の未熟者のわたしには、それがどうも見えていない。見えてこないのである。それが決して、悪いことではないにしても、良きものでもないこと。そこに戸惑いつつも、ゆっくりでいいじゃないかと自分に言い聞かせて、今いる安住の場所についつい甘えたくなるのだ。

4896421469可愛い女 (チェーホフ・コレクション)
児島 宏子
未知谷 2005-12

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱいです。

|

« いたずらハリー きかんぼのちいちゃいいもうと その3 | トップページ | 在日ヲロシヤ人の悲劇 »

63 海外作家の本(ロシア)」カテゴリの記事

69 アート・絵本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。私は乙女ではありませんが、一度は言われてみたいです・・・。

「この人、かわいいな~(顔とかじゃなくて)」という人に出会うと、ちょっとうれしくなります。どうしてそう感じるのかしら??と考えてみると、素直な振る舞いのためのような気がしてきます。
だからといって、自分がそういう人にはなかなかなれないのですが。

この本を読んだら、理想的な人に近づけますかね(^^;

投稿: さやの | 2006.10.28 21:34

さやのさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます!
素直な振る舞い。確かにそれはわたしも、いいなぁと思います。
計算ずくだったら嫌ですけれど、“思わず”感みたいなものは、
なんだかちょっとしたミラクルな佇まいをしているかな、なんて。
自分自身がそう思われるような可愛い女(ひと)であるのは、
理想ですよね、やっぱり。

で、チェーホフ。うーん、これを読んでも理想には届かないかも…デス。
やはり古典なのですよね。どうも現代女性には当てはまらないようです。
好みはそれぞれですが…でも、なかなか作品自体は面白いですよ。

投稿: ましろ(さやのさんへ) | 2006.10.28 22:29

この短編集、読まれもせずに我が家の本棚に眠っていました。思い出しついでに「可愛い女」を読んでみました。子供が学校の先生や親の言うことを、それがすべてであって正しいことと思うように、10代の少年少女にとってお気に入りのアーチストの表現することが絶対的であるように、オーレンカにとっては愛する人の言うことがすべてなんですね。若いうちはそれでも「可愛い女」でいられたのだけど、子供のように染まりやすいまま、自分を持たずに大人になってしまったオーレンカの運命は、滑稽なものに思えました。「可愛い女」という言葉には「お馬鹿さん」というニュアンスが含まれているように思えます。わたしがまだ若かった頃、年配の女性に「あなたは早く結婚して子供を産むのがいちばんよ」といわれたことを思い出しました。なんの取り得もないわたしの行く先を案じて、若いうちに男をつかまえておきなさいといいたかったのでしょう。でも、結婚したって安泰ってわけではないから、オーレンカのようにいつどうなるかもわからないのだから、しっかり自分の足で立ちたいものです。

投稿: ちもたん | 2006.10.29 09:30

ちもたんさん、コメントありがとうございます!
読まれたのですね、この本!!!文庫の方で、でしょうか。
もしかしたら、絵本バージョンのチェーホフコレクションとは、
翻訳がかなり異なっているかもしれないですね。絵本の方も、なかなかいいですよ。
そう。「可愛い女」は、確かに「お馬鹿さん」的な意味合いもあるでしょうね。
それでも愛されるからには、それなりに魅力的な部分があるはずで、
オーレンカに限らず誰にでも必ずそれがあるのだと、わたしは信じたいです。
「可愛い女」でありながらも、自分の足でしっかり立つこともできる。
それが理想といえば理想ですよね。でも、かなり難しい…
お互いにもがき、あがきましょう♪

投稿: ましろ(ちもたんさんへ) | 2006.10.29 12:31

絵本バージョンもあるんですね。わたしが持っているのは文庫です。
新潮文庫で「かわいい女」ってひらがななんですよ。
訳もけっこう違ってる可能性ありですね。
誰にでも魅力的なかわいい部分がある、きっとそうですね!
絵本も本屋さんで探してみたいです。

投稿: ちもたん | 2006.10.29 15:26

ちもたんさん、再びコメントありがとうです。
新潮文庫で出ていたとは…!知らなかったので、画像加えてみましたよ。
チェーホフコレクションは、何がよいって絵が素晴らしいのです。
文庫で読むときとはまた違って、ぐいぐいと読ませます。
ただ、大人向けですね。やはり。そして、チェーホフへの愛に満ちている!
新潮文庫の方でも読んでみなければっ。
ここのところ短編にはまってしまって、チェーホフのカテゴリー作ろうかしら…(笑)

投稿: ましろ(ちもたんさんへ) | 2006.10.29 19:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/12457503

この記事へのトラックバック一覧です: 可愛い女:

« いたずらハリー きかんぼのちいちゃいいもうと その3 | トップページ | 在日ヲロシヤ人の悲劇 »