« 中二階のある家 ある画家の物語 | トップページ | ロスチャイルドのバイオリン »

2006.10.06

ざらざら

20061003_44027 両の手のひらですくった砂がこぼれ落ちるように、儚く今にも消え逝くような、そんな短い物語がぎゅっとつまった1冊だった、川上弘美著『ざらざら』(マガジンハウス)。23もの短篇は、しんみりと味わい深いものから、ふふふと微笑ませるもの、さらりと流れるようなものまで、川上弘美ワールド満載の作品ばかりだ。読みながらわたしは、いとおしくてたまらなくて、胸につんとした痛みを感じた作品まである。そういう思いというのは、きっと読んでいるわたしの心持ちが、作品としっくりと馴染んだ証拠なのだろう。ゆえに、読んだ人それぞれがそれぞれに、異なる作品に対して、そのような感情を抱くに違いない。読者は身勝手にもそんなことを思いつつ、読む。好き勝手に読む。けれど、同時に愛する。わたしは、そう思っている。

 わたしが何よりも好きだったのは、「クレヨンの花束」。かなり後半に収録されている作品であるせいか、特別印象深い。“好きな人に好きになってもらうこと”に苦悩する主人公が、幼い甥っ子にほんのりと救われる物語である。姉夫婦はいわば修羅場を迎えた関係になっており、やり直し旅行に出かけている。人を好きになること。ただでさえ、そのことが難しいわたしにとっては、その次の課題に苦悩している主人公が他人事ではなかったのだった。読み進めながら、うんうんどうなる、どうなるんだ…と思いつつ、なんとも見事な簡潔な答えを出してみせるところが、なんとも心憎くたまらなく好きだ。好きになること。そして、その後の好きで居続けること。その困難さに、ため息がこぼれる。その答えについては、敢えて書かない。ネタバレになるゆえ。

 続いては「淋しいな」。恋人にふられた女の子の感情の変化が、細やかに描かれている作品である。主人公は1人の男性となんとなく曖昧なまま付き合っていた。この人ならいいかな、くらいの気持ちで。でも、夢中になれるだけの準備だけはできていたのだ。だからある日、ふられたことが切なくて悲しい。なんとも淋しい。そんな、誰もが味わうような感情。それを昔の人はこういったそうだ。“めぐりあわせ”だと。誰が悪い訳じゃない。自分を責めるのは、もってのほか。単にめぐりあわせが悪かった。ただそれだけのことなのだよ、と。まさに、メカラウロコの話である。日本語というものの奥深さを感じさせる言葉でもある。めぐりあわせ。その言葉の響きの美しさと意味合いを心の奥底に刻みつけて、わたしは前へ進もう。そう思わせてくれる物語だ。

 他にもたくさんたくさん、書き留めておきたい物語があるのだけれど、最後に1つだけ「椰子の実」を選んで終わりにする。これは、年子の兄妹の物語である。ずっと抱き続けてきた兄へのコンプレックス。それがするりとほどける瞬間を描いている。そこまでいきつくまでの心の変化というもの、微妙なニュアンスでの表情や心模様。それに対して、わたしは強く惹かれてしまった。さらっと描かれているせいか、ぢんと心に響くなんともいえない哀しみや嬉しさが余計に染みる。そして、いつまでも深い余韻を残して、兄妹というものの絆を思わせてくれるのだ。それはもしかしたら、わたしがやはり兄と妹という兄妹構成のせいなのかもしれないし、他にも通ずる部分が数多くあるせいかもしれないが。ほっこりと。あたたかに。それでも、きゅうんと切なくなったのだった。

483871694Xざらざら
川上 弘美
マガジンハウス 2006-07-20

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログにいらっしゃい。

|

« 中二階のある家 ある画家の物語 | トップページ | ロスチャイルドのバイオリン »

15 川上弘美の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/12170523

この記事へのトラックバック一覧です: ざらざら:

« 中二階のある家 ある画家の物語 | トップページ | ロスチャイルドのバイオリン »