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2006.07.31

口ひげを剃る男

20060723_002 これは狂気の物語なのか。ただの利己主義の物語なのか。それとも、夢と現実の狭間で不安定に揺れ動く、長くも短い男の願望の象徴か。エマニュエル・カレール著、田中千春訳『口ひげを剃る男』(河出書房新社)という作品の解釈は、極めて困難だ。一人の男の主観で語られる物語は、ただ一人きりの、一方通行の思考である。読むほどにその主観を共有する読み手は、男と共に苦悩し、いつのまにか男の視線に呑み込まれる。この世界には確かなものなどないということ。最期まで信じられるものなど、あまりにも淡く儚いのだということ。そして、私たち一人一人の主観というものの、あまりの身勝手さ。気紛れに見る。思う。考える。悩む。それに伴う生というものの在り方を、わたしは問われている気がした。突然の眩暈にくらくらとなるほどに。

 物語のあらすじとしたら、説明は簡単だ。主人公の男は口ひげに固執している。5年もの結婚生活の中、ある日ふと思い立つ。今まであったはずの口ひげを剃ろう、と。男としたら、口ひげのない自分というものに慣れていない。もどかしいくらいに照れくさく、妻をはじめ、友人や周囲の人々に口ひげのない自分というものに反応して欲しいわけだ。だが、彼の求めるような反応は何もない。誰もが口を揃えて云うのだ。“もともと口ひげなんてなかった”と。ああ、そうか。これは妻が仕組んだゲームだろう。そう言えば彼女には、黒を白というところがあったっけ…男は妻のゲームに付き合ってやろうじゃないか、そう思うわけだ。だが、なぜ例外であったはずの自分をゲームのターゲットにしたのか…

 彼の思考はめぐりめぐって、妻への愛情と怒りに苦しみ出す。狂っているのは彼女か自分か。病に蝕まれたのは、どちらなのか。口ひげだけに留まっていたはずの話は、他のことにまで及び、疼くような痛みを思わせる。一緒に行ったはずの場所。一緒に過ごしたはずの時間。生きているはずの親の死。二人を繋ぐ絆は、どんどん脆くなってゆく。彼は探偵のごとく、自分の中で様々な仮説を思う。だが、考えれば考えるほどに自分自身の立ち位置は危うくなるばかり。そんな彼が選んだ選択肢は“逃走”。つまりは、妻の陰謀から逃れるための。5年もの、或いはそれ以上の絆。それが壊れる様というのは、あまりにも悲しい。誰かを疑うという行為もまた、あまりにも虚しい。きっかけが“口ひげ”だということが、さらに切なさを呼ぶ展開だ。

 たかが“口ひげ”である。されど“口ひげ”でもある。物語は男の思いを淡々と語り続ける。男の寂しく悲しき旅路を。そして、その顛末を。読み手は誰もが迷うだろう。これは狂気の物語なのか。ただの利己主義の物語なのか。それとも、夢と現実の狭間で不安定に揺れ動く、長くも短い願望の象徴か。わからないのだ。どれをも満たしつつ、どこか足りない。そんな気がしてならないのだ。その“わからなさ”を感じた時点で、もう著者の意図にはまってしまった、ということになるのだろう。わたしはこの物語の男の主観になっていた。逃れようもなく、苦悩していた。それはきっと、この物語に魅せられたということ。読み終えて、もどかしいほどに胸が痛いのは、寄り添いすぎた証拠に違いないのだから。そして、この物語、著者自身によって2005年に映画化されているそうだ。願わくば、そちらでもこの男の苦悩に寄り添ってみたいと思う、懲りないわたしだ。

4309204600口ひげを剃る男
エマニュエル・カレール 田中 千春
河出書房新社 2006-06-08

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