« 夕暮まで | トップページ | 一度死んでみますか? 漫談・メメントモリ »

2006.06.05

球形時間

20060601_44009 いくつもの思考が重なって共鳴する。1つが2つに。2つが1つに。いや、もしかしたらいくつにも思えたものが、たった1つにすらならない可能性だってある。要するに一方的な。独りよがりな。とりあえずはまあ、少しくらい考えてみるか。その程度だったら、ちっとも構わないはずだ。1つだろうと、2つだろうと、わたしの知った事じゃないのだから。多和田葉子・著『球形時間』(新潮社)は、そんな些細な戯言のよく似合う物語だ。ぐるぐると廻らせた思考は、内に秘められていると云っていい。外に向けられぬまま、あまりにも身勝手に廻る思考。それはもう、生意気にも、やけに大人びた若者たちによって。

 物語の主人公は、高校生のサヤ。いわゆる今どきの少女である。サヤの言葉遊びは始終続いて、周囲に向けられる視線は極めて鋭い。他者の抱いている思考をさまざまに結びつけては、その僅かな隙間にするりと入り込んで人々を混乱させる。周囲はもちろん、我が身までも混乱の中に置く。日常にある苛立ちというもの。それを丁寧に細やかに描かれてゆくさま。それがなぜだか、心地よい物語だ。心の中にだけ秘めた憎悪の塊は、誰もが皆そうであるように、些細なものまできっちりと脳内で語られる。ぐつぐつと煮え立つ頃にはもう、呑まれてしまう類の。わたしの声でありながら、わたしのものではない。ひどく醜くい、ひどく哀しい。けれど、憎悪という感情なしには、生きられるはずもないわたしたちがいる。

 苛立ちと憎悪。物語には、それを抱える者が多い。不良に見せつつも優秀なサヤは、自分とは頭のつくりの違うカツオが羨ましくてたまらない。恵まれた家族をはじめ、何もかもがクールゆえに。カツオなりに困難ながらも。また、少々変わったところのある、教師であるソノダについてもそこそこ気に入っていたサヤだが、誰もがサヤのようであるはずもなく、それぞれに苛立ち、それぞれに憎悪し、それぞれに日々はしんどいに違いない。思いは募るばかりである。サヤに向けて放たれた言葉、“インド人”。そのたった一言を“ドジン”と聞き違えたゆえに、サヤの日常は苛立ちと憎悪からほんの少しずつ遠のいてゆく。古風な雰囲気の喫茶店“ドジン”とそこに佇むイザベラとの出会いゆえである。

 いく人もの思考は廻る。始終、廻る。人との関わりというものを思うとき、そのほんの少しの瞬間、刹那に思いを馳せずにはいられないわたしたち。内に秘められたままのそれが、外に向かうとき。その時間こそが、深くなぜかいとおしい。不思議なくらいにずんと響く。小さなもの。些細なもの。ちょっとしたそれ。そういうものたちが心を揺さぶることも、もちろんだろう。すべての時間。タイトルになっている“球形時間”の意味するところは、あまりに刹那で、ひとまとまりの或る1つの世界で。口に出さずとも秘めている心持ちそのものを紡いだように思えてくる。わたしたちは1つを共有した。わたしたちは1つを思いめぐらせた。そんな言葉を云ってみたいくらいに、わたしはこの物語が好ましくて仕方ない。

410436102X球形時間
多和田 葉子
新潮社 2002-06

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。

|

« 夕暮まで | トップページ | 一度死んでみますか? 漫談・メメントモリ »

36 多和田葉子の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

ましろさん、こんにちは。
こちらでは、初めまして。 ですね。
先日はコメントをありがとうございました。

ましろさんの記事を読ませていただいていたら、この作品をじっくりと読み返したくなりましたよ。
まだまだ、寝かせておきますけどね。

私にとっては、読み応えの確かな、どんどん他の作品も読んでいきたい作家です。 
「光とゼラチンのライプチッヒ」も、とても気になります。 すごいタイトルですし(どんな意味なのかしら?と思うだけで楽しみ)。

ではでは。 

投稿: りなっこ | 2006.06.10 07:37

りなっこさん、コメント&TBありがとうございます。
読み応え。確かですよね。多和田さんの作品!
多和田さんの作品を読んでいるブロガーさんと知り合えて、嬉しいです。
少しずつ、大事に大事に読んでいこうと決めています。
願わくば読破を、と。
この「球形時間」は少し気楽に読めたのですが、
「光とゼラチンのライプチッヒ」は頭を使った感じでしたよ。
タイトル。読んだのにもかかわらず、曖昧にしか理解できていません…
でも好きな作品です。

投稿: ましろ(りなっこさんへ) | 2006.06.10 10:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/10409673

この記事へのトラックバック一覧です: 球形時間:

» 球形時間 [本読みの日々つらつら]
去年、『ゴットハルト鉄道』を読んで、この作家の作品はもっと読んでみたいと思った。 でも、本屋さんに置いてある文庫本は、後は「犬婿入り」だけ。 う〜む。 もっと読まれていいはずの作家(多和田葉子さん)なのになぁ。 他の作品も、早く文庫化して欲しいっす。 『球形時間』、多和田葉子を読みました。    帯より。〔 高校生サヤが出会った英国女性は、時空をさまようイザベラ・バードだった――。 〕〔 鋭くも愚かしく... [続きを読む]

受信: 2006.06.10 07:14

« 夕暮まで | トップページ | 一度死んでみますか? 漫談・メメントモリ »