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2006.06.27

野の小さな花たち

Photo98025 “私は虫であり、虫は私である。花は私であり、私は花である。そして自然は私のためにあり、私は自然のためにある”これは、熊田千佳慕・著『野の小さな花たち』(アトリエ風信)に綴られている言葉だ。著者が70歳にして得たという、神からの啓示のようなものであるらしい。ボタニカルアートというものについて、ほとんど無知なわたしだけれど、さりげなくもしたたかに生を放つ小さな花たちを描く著者の姿勢と、それに対する深い想いを知れば知るほどに、きゅうんと胸が痛くなった。写実にも心があること。どれほど小さな植物であろうとも、立派な名前があること。わたしたちが忘れがちな視点で、著者は真摯に植物と向き合っているのである。

 この作品にあるのは、わたしたちがいわゆる“雑草”というひとくくりの言葉で片づけがちな植物たちの絵と、それにさらりと馴染む言葉たち。どの植物図鑑にも“雑草”という名はないのにもかかわらず、野草を安易にそう呼び、虐げている多くの人々がいると気づかされる(わたしも含め)。草むしりは容赦ない生命のたち切りであること、花を摘んでの首飾りや冠作りが残酷な遊びであることについて、著者は鋭く言葉を放ってくる。そして、草や虫、小さな野草の命の重さを、読み手に問うてくる。これはきっと、著者が自然に寄り添うがゆえに綴られた想いなのだろう。“自然は美しいから、美しいのではなく、愛するからこそ美しいのだ”この言葉もまた、胸を強くうつ。

 さて、この本。手のひらサイズよりもほんの少し大きいくらいの、可憐な佇まいをしている。写実的に描かれた野草たちもまた、可愛らしい存在感を放っている。中でも愉快なのは、ニリンソウとサンリンソウの関係と、ヒトリシズカとフタリシズカの関係に纏わる話。名前からして、もう何だか奥深い物語を感じてしまうのは、わたしだけではないと思う。ニリンソウ。こちらは、同時に二輪咲くのではなく、彼が先に咲きつつ彼女が咲くのを待つ、というものらしい。デートにわざと遅れる女の子みたいに、男の子はじりじりと待たされるわけだ。また、自然の悪戯のごとく存在する、サンリンソウ。なんとなく、複雑に絡み合う人間関係を思わせる野草である…嗚呼、面白い。と、云ってもいいものか…

 そして、ヒトリシズカとフタリシズカ。こちらは、名前は寂しくとも、1本で咲く方が何とも美しい野草らしい。群生しているゆえ、実際には名前のような寂しさはないのだけれど、そんな名なのだ。それに対してフタリシズカは、共に咲くことができるのにもかかわらず、あまりにも不格好な姿をしている。これもまた、自然の悪戯なのだろうか。なんとも厳しい世界の在り方を痛感する。また、忘れてならないのが著者の絵に対する姿勢だ。それはどれも皆、野草と視線を同じにしている、ということ。決して見下ろさずに描かれているのだ。タンポポの部分には、地面に寝ころんでスケッチする著者を発見できる。嗚呼、この方は正しい。わたしは率直にそう思わずにはいられなかった。切実に。揺るぎなく。

4900729035野の小さな花たち
熊田 千佳慕
アトリエ風信 1995-01

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コメント

はじめまして。
この記事からいろいろと考えることができました。「雑草」という分類は「その他」みたいなイメージかなと思っていました。バラも雑草だったと聞いたときに、じゃあ初めから雑草じゃない植物はどこにいたのか、という疑問が生じたからです。名前を言えるものとそうでないもの……
でも実際は違うかもしれないとこの記事で考えました。「発酵」と「腐敗」の違いは、人に役立つか役立たないか、というそれだけの分類です。つまりお金になるかならないか、というものです。人間の分類は必ず人間中心的な「差別」が介在してしまうということです。そして人は人さえ分類します。

話が逸れました。植物こそが地球を支配しているという学説があります。裸子植物しかなかったとき、植物は恐竜を使って繁殖しました。花を付けたとき昆虫を選択し、実を付けたときに哺乳類を伴侶として選択しました。動物の進化に従属したのではなく、動物を選択していた、という説です。今「美しい花」を付けているのは、生活に癒しを求める人々を、選択してくれているのかもしれません。

投稿: M | 2006.06.30 10:33

Mさん、はじめまして。コメントありがとうございます!
拙き文章から、いろいろなことを感じてくださって、
とても嬉しく思っております。

分類。それはやはり便宜上必要なもの。
けれど、それを自分の中ではどう感じているのか。
どう意識しているのか。それが求められている気がしています。
植物を前にして、情けなくも恥じ入るばかりです。

植物こそが地球を支配しているという、学説。
すごく興味深かったです。植物たちは人を選んでくれるでしょうか。
嗚呼、どうか選んで欲しい…そんな思いを強く感じました。

投稿: ましろ(Mさんへ) | 2006.06.30 17:07

野の小さな花たち

タイトルが好き。

有名できれいな花もいいけど

ひっそりと咲く小さな花が好き。

投稿: ひろ | 2006.07.10 22:05

ひろさん、コメントありがとうございます!
小さな野の花の存在。
それは強くも儚く、とてもいとおしいものですよね。
野の花のようであれたら…なんて、
おこがましくも想う、この頃です。

投稿: ましろ(ひろさんへ) | 2006.07.10 22:54

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