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2006.06.11

ハナさん おばあさんの童話

20060611_44008 穏やかにゆるやかに過ぎる日常。そこにある、ささやかなる物語。小さな小さな幸せというもの。森山京・著『ハナさん おばあさんの童話』(ポプラ社)には、まさにそういうことが描かれている。物語に登場するのは、7人ものハナさん。それぞれに、それぞれの日々を生きる、いずれも、おばあさんであるハナさんだ。まだどこかできっと生きている、身近な存在のハナさん。その姿は、もしかしたらこれから先のあなたか、わたしか。やわらかに紡がれたハナさんの物語に添えられた、あたたかながらも繊細な山本容子さんの絵も、素晴らしく味わい深い。嗚呼、ハナさんに会いたい。会って、とりとめのない話をたくさんしたい。読みながら、そんな気持ちになった1冊だ。

 ここからは、わたしが寄り添いたくなったハナさんについて書こうと思う。まずは、「またね」。バラの花束を抱えたハナさんが、急行列車にて若者に席を譲られて、ほんの十数分限り、言葉を交わし合うという物語である。いわゆる、ゆきずりの関係。その言葉の意味するところは、老いたハナさんにとっては新鮮なものだったに違いない。何気ない至福の時。それが刹那であればあるほどに、心の奥底にずんと響いて重みを残す。きっと。いや、絶対に残るものだ。人と人とが繋がる瞬間。ふれあいというもの。もう二度と会えないかも知れない人の存在は、繋がりが深かった分だけ、切なく虚しさを呼ぶ。例えそれが、ほんの十数分でも。長さではないのだ。深さと濃さの問題なのだ。

 続いては「雨催い(あまもよい)」。郵便が届くときの“カタン”という音。“郵便屋さんだわ”そう呟くハナさんは、どうやらそれを心待ちにしていた様子。夫に先立たれ、ひとりきりの生活。そこでのささやかな楽しみ。新たな気づき。ハナさんを支えるのは、そういうもののように感じられる。夫亡き後も届く夫宛ての手紙やら、ダイレクトメール以外に届いたのは、見覚えない名前の記された紫陽花の絵葉書。すべてが手書きの青インクの文字。そこにハナさんは、人を感じる。ぬくもりを見出す。読みながらなんだかしばらく、ぢんと胸が熱くなったわたし。キレイに正しく連ねた文字は読みやすいが、心があるのは手書きの文字だ。気持ちを感じるのはやはり、やっぱりそうなのだ、と。

 最後に「夕日」。この物語でのハナさんは、はっと立ちすくむほどの夕日を見る。随分前にも、確かに見たことのある夕日。甦る40年も前の記憶。小さな長男と2人、人生の分岐点にいたハナさん。あの時の夕日。もしもそれが違う色をしていたのなら、長男が“あっこ、行こう”と云わなければ、変わっていたはずのハナさんを思い出す。人は誰しも、分岐点と向き合う。いつか。何度も。どれを選ぶか。多くの選択肢の中から、迷って悩んで苦しんで決める。悲しみをも感じつつ。そして、その時を振り返ることができるのは、すっと心に余裕があるときだ。或いは、何かに感化されて。人は皆、老いてゆく。いずれ、人は老いる。自分なりにその生をいかして、日々を紡がなくてはならないのだ。ねぇハナさん、そうでしょう?

4591092313ハナさん―おばあさんの童話
森山 京
ポプラ社 2006-05

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