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2006.05.01

ホテルカクタス

20050610_042 懐かしい場所。でも、戻れない。ひとは誰しも皆、そういう場所を胸に秘めているのかもしれない。個性的で奇妙な登場人物たちが愉快な、江國香織著『ホテルカクタス』(集英社文庫)は、アパートなのにホテルの名が付いた、居心地の良さを感じさせる場所が舞台の物語である。その居心地の良さというのは、もちろん住み易さだけではない。ここにいたい。ここにずっといたい。ひとをそんなふうに思わせ、惹きつけるのは、そこにある魅力というものだ。その魅力はひとそれぞれ。関わり合うひとびとかもしれないし、環境の良さかもしれない。静かだとか。日当たりがいいとか。さびれた感じがいいとか。便利な店が近くにあるとか。猫と暮らせるとか、いろいろだ。

 わたしにとっての居心地のいい場所としたら、どこなのか。思えばわたしは、そういう場所を求めながらも、結局のところは見つけようとしていない気がする。小さな頃は、積極的に探していたのだけれど…。自分ひとりだけの部屋というものがなかったわたしは、あちこち懸命に移動していた。家中を。祖父の居る離れにせっせと勉強机を運んだこともあったし、天井の低い屋根裏に籠もってみたこともあった。たいていは、息の詰まるような狭い空間で、わたしはひとり自分を落ち着かせる場所をあれこれ見つけては、試していたのだった。その移動は、小学校の中学年で終わる。わたしは自分ひとりの部屋を、とうとう与えられたのだ。そこがはたして居心地の良い場所かどうかは別として。

 さて、話を物語に戻そう。先に述べた個性的な登場人物の面々は、歳を重ねたアウトローの帽子と、体を鍛えることが日課で少し軽薄なきゅうりと、几帳面で神経質な数字の2。それぞれがさまざまにくすぶっているのが、親しみと哀愁と孤独を呼ぶ。3人はちょっとした出来事がきっかけで知り合い、一緒に過ごすことになるのだけれど、共通点というものがほとんどない。アパートの一角の上の階、下の階くらいの共通点だけで、異なる者同士が集い、夜を明かすのである。それは、ある意味奇跡で。偶然で。もしかしたら、必然なのか。なりゆきだけでは続かない。お付き合いにしては、深すぎる。誰かが求め、誰かに求められる。そんな類の関係は、ひどく尊いものに思えてくる。

 彼らにとっての居心地の良い場所。懐かしい場所。でも、戻れない場所。それはまさに、ホテルカクタスでなかったか。もしかしたら、新たにそういう場所が見つかるかもしれない。いくつもいくつも増えていくものなのかもしれない。それとも、ホテルカクタスは通過点に過ぎなくて、彼らにとっての本当の居心地の良い場所は、胸の中にある想像上の理想郷なのかもしれない。ひとが抱く懐かしさというものが、戻れないゆえのものなのか。ただ懐かしい。ただ戻れない。独立したそれぞれでは成り立たないものなのか。“懐かしい”と“戻れない”。2つの要因があってこそ、はじめて生まれる居心地の良さなのだろうか。わたしは散らばった記憶をかき集めて、はぁとひとつ、ため息をつく。

4087477096ホテルカクタス (集英社文庫)
江國 香織
集英社 2004-06-17

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コメント

こんにちは。この本、読みました。さっと読めてしまったけど、とても優しくて寂しくて、いい本でした。いつかはなくなってしまう場所だからこそ、こんなに大切なんでしょうね。3人にとって。挿絵もステキでしたね。

投稿: ざれこ | 2006.08.01 02:08

ざれこさん、コメントありがとうございます!
おっ、積読本消化されましたねー(笑)
そうですね。優しくて寂しくて…思い出してじーんとなります。
挿絵、ほんと物語としっくり馴染んでましたよね。

投稿: ましろ(ざれこさんへ) | 2006.08.01 12:28

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