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2006.05.15

ペニーさん

20050513_017 人と動物と、そこにある自然と。その営みにおける物語というものが、マリー・ホール・エッツの描く世界である。わたしが手に取った、マリー・ホール・エッツ作・絵、松岡享子訳『ペニーさん』(徳間書店)は、エッツのデビュー作。動物と人との深い関わりが印象的なこの作品は、まるで、物語としての在り方というものを心得ているよう。そして、わたしたちが日常の中で、何かを声高に叫ばずとも、息を荒げて文句を連ねずとも、わたしたちの傍には動物がいて、自然があって。それらに満ちた世界に、日々暮らしているということに気づく。エッツの伝えたそういう世界を、わたしたちは求めずとも持っている。或いは、持っていた。読みながら、思わず頷いたわたしである。

 さて、物語のあらすじ。ペニーさんは、もうずいぶん年老いた人で、たくさんの家族を抱えている。家族を養うために町の工場で働いているものの、それだけの稼ぎでは貧しい暮らしからは逃れることができない。ミルクとミミズとを売っても、貧しさは変わらない。あるとき、ペニーさんの出かけている隙に、家族である動物たちが好奇心にまかせて、お隣の畑を荒らしてしまう。ウマとメウシ、ヤギ、ブタ、ヒツジ、メンドリ、オンドリである。彼らに悪気はない。けれど、お隣さんをカンカンに怒らせ、ペニーさんをさらなる貧しさに引き込むような事態になったことは、言うまでもないこと。生活の営みか、償いか。どちらにしても、苦しい選択である。

 ペニーさんが、どういう選択をして、家族である動物たちがどうなったのか。そこにあるのは、動物たちと人との深い関わりである。ペニーさんの日々の営みが、その積み重ねが、それをつくりあげてきたのだろう。物語であっても、ここには言葉がない。言葉は少しも通じないのだ。わかるのは、気配である。寄り添うことによって感じる。そういう類のものである。動物たちがささやき合うのは、ペニーさんが彼らに語りかけるのは、“寄り添う”ということにおいてなのだ。一方的な言葉が伝わる瞬間。そこにある驚きと喜びは、何ものにも換えがたい。計り知れないものなのだろう。わたしは、ペニーさんと動物たちの物語に、そんなことを思ったのだった。

 動物と人。その関係において、一方的に語りかけることを、わたしたちは常としている。それゆえに、思っていた。わたしの手は彼らに触れるけれど、イヤイヤと逃れるように身を翻されてしまう。いつだって彼らはそんなふうで、わたしの思いなど、結局自己満足な執着と、雑音のような声でしかない、なんて思っていたのだ。彼らが家族であるほどに、それは悲しく寂しく響いた現実で、いくらいとおしくても、ふと抱いてしまう思いがあったのだ。ペニーさんの物語は、不思議にやわらか。じんと余韻を残す。そして、わたしの手が、彼らにまだ届くこと。届いているかも知れないことを教えてくれる。わたしが深く頷いたのは、きっとこんな理由から、なのだと思う。

4198607230ペニーさん
Marie Hall Ets 松岡 享子
徳間書店 1997-07

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