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2006.04.13

屋上への誘惑

20050413_005 心地よいなまぬるさの風が、わたしのすぐ横を流れてゆく。今ある思いを言葉にしたら、そんな感じがしっくりくる。自分の胸の内に秘めていたものをなんなく見抜かれてしまって、やんわりとふふんという表情をされてしまったような感じでもある。核心をずばりではなくて、“なまぬるくやんわり”というのが、そのポイントだったりする。小池昌代著『屋上への誘惑』(岩波書店)はまろやかな雰囲気をして、まさにそういう言葉の詰まった本である。そして、読ませて感じさせる。ああ、そうだったと思い出して、うんうんと頷かせたりもする。ふっと引き込まれて、はっとしたりもする。そういうエッセイなのだ。

 日常のある一瞬を切り取って紡がれた文章は、それを見ている著者の視点に関心が向く。なんともやわらかに寄り添うからだ。「カフェの開店準備」という話では、著者は喫茶店でコーヒーを飲みながら、向かいのカフェの開店準備をする一人の女性の様子を見ている。無駄のない慣れた動作を繰り返すその女性の、抱える思いをするすると思いめぐらす。個人的な思考はいつのまにか、人としての悩みになり、閉じた心が広がりを見せ始める。女性は著者の思考など虚しく、無心かもしれないが、それでも不思議と一緒に寄り添いたくなる。日常が突きつける挑戦を、なんとなく真剣に受け止めたくなるのだ。

 「真夜中の花と不思議な時間」という話では、切り花のしぶとさを語る。土につながる根を持たないそれが、生きようとする様を鮮明に描く。自意識のかたまりのようなものを見つつ、おのれの自意識を思う著者。そして、話は流れゆく時間をも思う。ゆるやかに。でも確実に。そうやって流れることにふと気づいて、著者の思考も次第に流れてゆく。生きているということ。死んでいるということ。2つの状態の違いの境界が混ざり合って、読み手のわたしはひとり迷い始める。どちらに近いか。どうなのか。もちろん、生きているのだけれど。そうなのだけれど。迷いたくなるのだ。今あるわたしという器で。

 他にもいくつも興味深い話がいっぱいであるが、挙げきれないのでここまでにしようと思う。この本のタイトルになっている“屋上への誘惑”についても、あとがきで触れられていて、屋上から落ちてゆくボールを見つめる記憶が綴られている。ボールを拾いに行く友だちと、そこに響いた音、日が暮れて風が吹く様子。途切れる記憶の断片に、曖昧になった部分がゆうるりと絡み合う。確かなものは、もうなにもないように思えてくる。わたしの記憶も、きっと霞んでしまうだろう。けれど、それは結構心地よくて、妙にいとおしくてあたたかい。そのぬくもりをそっと、てのひらでじんと感じてみたい気がする。

4334743684屋上への誘惑 (光文社文庫)
小池 昌代
光文社 2008-01-10

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コメント

ましろさん、こんにちは。Sachiです。

『屋上への誘惑』、読まれたんですね!
これは昨年の11月にわたしも読みました。

そうそう、「心地よくて、妙にいとおしくてあたたかい」エッセイばかりでしたよね~。(^^)
ましろさんのご感想を拝読したら、また読みたくなってしまいました。

感想というほどではなく、ただの読了報告なんですが、
本書について書いた記事があるので、TBさせていただきますね☆

投稿: Sachi | 2006.04.17 15:33

Sachiさん、コメント&TBありがとうございます!
読もう読もうと思っていて、やっと読んだ1冊でした。
もっとはやく読めばよかったのに…と後悔しちゃったほどです。
そういえば、Sachiさんの読まれた『ルーガ』もまだ未読なんですよ~。
うぅ。読まねば!

投稿: ましろ(Sachiさんへ) | 2006.04.17 18:58

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少し前になりますが、10月30日(日)に、小池昌代『屋上への誘惑』を、11月1 [続きを読む]

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