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2006.04.28

誕生日の子どもたち

20050427_018 あなたはずいぶん変わった子どもだったわ。そんなふうに過去のわたしについて誰かが話すのを聞くとき、あまりの心許なさにぞわぞわとなる。掻きむしりたくなって、かあっとなる。わたしがほんとうにほんとうに、小さかった頃。無邪気になれなかった日々。可愛く過ごせなかった時間。決して戻ることのないそういうものを思って、得体の知れない熱が込み上げてくる。トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳『誕生日の子どもたち』(文藝春秋)に描かれる少年少女の無垢な物語は、わたしの戻らない思いを刺激する。ちくっと刺して、じわじわと思い出させる。それがやがて、痛みを増してじんじんとなるまで。そんな6つの短編が収録された1冊。

 表題作「誕生日の子どもたち」は、小さな田舎町にやってきた魅惑的な少女と、少女に夢中になる少年たちの様子を、ある一人の少年が語るもの。妙に気取って、誰よりも大人ぶって、そうやってしたたかに生きていた少女は、わずか10歳だった。町中の人々が惹きつけられ、ミス・ボビットと呼ばれた少女に起こった悲劇。そこからはじまる、回想の物語だ。“私の頭にはいつもどこか別の場所があるの。そこでは何もかもが美しくて、たとえば誕生日の子どもたちのようなところです”物語の中でそう語る少女。彼女はまさに、誕生日を目の前にしておしまいを迎えた子どもだったのではないか。わたしはそう思わずにはいられなかった。だってあまりにも悲しくて、恐ろしい物語だったから。

 トルーマン・カポーティ自身を思わせる自伝的な物語は、4つ収録されている。「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「おじいさんの思い出」である。バディーという主人公の視点で描かれる物語はみな、両親との結びつきよりもいとこや祖父母との繋がりを強く感じさせる。友だちは同年代ではなく、ずいぶん年上の大人。正確に言えば、成熟し損なった大人である。主人公の少年バディーが、大人びているわけではないのだ。家族というもの、友だちというもの、人と人との関わりというもの。それらのどれをとってみても、世間一般で言うかたちとは異なっている気がする。作家トルーマン・カポーティという人の過去を思わずにはいられない背景の作品たちである。

 残りの短編「無頭の鷹」は、文字が映像としてぱっと浮かぶ作品。絵画というものの残酷な鮮やかさと、大人になりかけた男のなくしてしまったものを持ち得る娘。物語を通じて浮かんだ映像は、まさに男の心象風景そのもののよう。魅せられた娘によって見抜かれた、進むことも戻ることもできない男自身の姿。結局のところ、生かすも死ぬも我が身次第なのか。わたしたちはそれぞれながら、誰かによく似たそれぞれなのか。娘の放った“彼はあなたに似てるし、私に似てるし、たいがいの人に似てるわ”という言葉は、心にしこりを残してゆく。わたしたちが自分探しをするときの矛盾のようなもの。それを思って、深いため息をつく。“わたし”なんていっぱいいるんじゃないかしら、と。

4163208909誕生日の子どもたち
トルーマン カポーティ Truman Capote 村上 春樹
文藝春秋 2002-05

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