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2006.04.29

ero・mala―Les maladies erotiques

20050423_006 今居る場所だとか、今在るわたしだとか、今廻る思考だとか。そのうちのどれがリアルで、どれがリアルじゃないとか。下腹を疼く痛みだって、無意味に満足な肢体だって、どうかするとわからなくなるのだ。そうして、わからない類のものをかき集めて、わたしは深い呼吸の中に埋もれてゆく。夢にウツツを抜かす。愚かな生き物のようにうずくまる。やまだないと著『ero・mala―Les maladies erotiques』(イースト・プレス)は、わたしの危うい均衡にぴったりとはまる作品で、現実から剥がれ落ちそうなときに、思わず手に取ってしまう。心地よいまどろみと、そこにいつまでも浸っていたい怠惰なわたし。自分に甘くなるのは、ときどきのご褒美だ。

 収録作品は、6つ。短編と中編。タイトル通りのエロである。雰囲気としたら、フランス映画。少女漫画でありながら、男性の視線で描かれる作風。それでも、こうあるべき少女いうよりは、こうありたい少女、のような気がするのはなぜなのか。不思議な感覚がある。あどけなさと大胆さ。その中にある危うさ。物語を惹きつけ、魅力的に魅せる少女は、そういう表情をしている。憂いのある大きな目をして、不機嫌そうな唇をして、気怠そうに佇む。多くを語らずに見つめる。ただ、見つめる。リアルな現実であったなら、通用するのは美しい少女だけの特権のそれ。まさにわたしの理想だったりする。もしかしたら、あなたの理想かもしれない。そう思う。

 この作品の「愛の教育」の少女は、まさに理想的かもしれない。母親を亡くし、父親と暮らすようになった少女は、父親の望む通りの娘になろうとする。愛されるために。母親のように捨てられないために。無防備すぎるひらひらのスカート、長い髪。それはまるで、パパの人形だった。けれど、トリコにとっては、それは不幸というよりも求めたぬくもりに違いない。愛された記憶として、いつまでも残るもの。そんなふうに思う。体を満たして、心まで染みゆく。それは、あまりにお手軽なリアルだったかもしれない。でも、確かにあったあたたかさとも考えられるのだ。だからといって、わたし自身がそういうものに簡単になびくことはリアルじゃない。あくまでも物語としての理想である。

 最後に表題作の「エロマラ」。この世界で、もっともエロティックな病というものをテーマに描いた作品である。性交なしでは生きられない少女のリアル。病に感染した人々は次々と死にゆくのに、同時にどんどん人々は忘れゆく。目を背けてはいけないリアルと、すぐ傍にあるお手軽なリアル。陥りやすいそういうものを、ぱっとひらいて見せられた感じだ。美しい病がこの世界にほんとうにあるとしたら、誰もが懸命に愛し合うことがほんとうにできるとしたら、わたしはそれを選ぶだろうか。憶病ゆえに。憶病であるゆえに、わたしが在るのだとしたら…確かにわたしがわかることは、少女の言う通り、“さようなら”というのが、ひどくさびしい言葉であるということ。それだけのことだ。

487257110Xero・mala―Les maladies erotiques
やまだ ないと
イースト・プレス 1997-04

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