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2006.04.12

さよなら エルマおばあさん

20050228_011 ここに立ち込める静寂を。つぶさに見せられた光景を。わたしはいつまで覚えていられるだろう。忘れずにいたい。忘れてはいけない。ずっと。じっと、まぶたに焼きつけなければならない。大塚敦子写真・文による『さよなら エルマおばあさん』(小学館)は、わたしにそう思わせる佇まいの1冊となった。或る一人の女性の死にゆく姿を、真摯に寄り添って捉えたノンフィクションの作品である。猫の視点を借りて綴られる死は、なんとも潔く、はっとするような表情をしている。少しずつ、でも確実に死が進む。広がる。伝わってくる。モノクロの世界は、それでも色鮮やかに、読み手の心を染めるように思えてくる。

 語り手は猫のスターキティ。もう長くは生きられないことを宣告された、エルマおばあさんとの最後の1年を伝えてくれる。自然豊かな場所で家族に囲まれて、人間らしい最期を迎える。エルマおばあさんはそう決めて、残りの日々を生きる。愛して、愛されて。それをじんと感じさせる姿が、いま目の前にある。老いてもなお、一人の女性であること。けれど、老いには勝てぬこと。美しくも残酷に、それは誰にでも迫るものであること。そんな光景が。目を背けたくなる光景も、もちろん目の前にある。切り取られた一瞬の儚さ。何があろうと、変わらずに流れる時間。そういうものが複雑に絡み合って、わたしの心は掻き乱されてゆく。ぐるぐるとめぐる。

 死というものをどう迎えるべきか。死とどう向き合うべきか。正直、わたしにはわからない。10代の頃にあれほど惹きつけられ、引き込まれたことが、今となっては遥か彼方のことのようにすら思える。身近な人の死。寄り添ってきた動物の死。いくつもの死がわたしの傍を通り過ぎていったというのに、わたしは少しも慣れはしない。悲しみがやわらぐ気配もない。ぽっかりと空いた穴を埋めるすべもない。いつまでも子どもではいられなくて、けれど大人にもなりきれずに、わたしは呆然とただ立ちつくしている心地になる。つめたくなった人のかたちをしたそれは、もうわたしの知っていた人ではなくなっていたから。死にゆくのではなく、死のかたまりであったから。

 わたしの中のそんな記憶の断片と、エルマおばあさんの死にゆく姿は、似ているようでちっともうまく結びつかない。それは、わたしの記憶の中の死が、あまりにも唐突だったからだろうか。それとも、わたしがただ向き合わずに目を背けたからだろうか。力ない手をぎゅっと握って、何度も繰り返しさすって、小さくなる声を懸命に聴いて。わたしは自分なりに、死を意識していたはずだったのだ。なのに、今はそれが甘かったことを思い知る。もっと語ればよかった。語るべきだった。後悔は、どんどん染みゆくような気がする。だからせめて、わたしは覚えていようと思う。エルマおばあさんのことを。わたしが見た死を。刻みつけて。知らしめて。これから先、ずっと。

4097272497さよならエルマおばあさん
大塚 敦子
小学館 2000-07

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コメント

分かりやすくて素直な書評で参考になりました。ありがとうございます。

投稿: chantune | 2006.04.13 06:23

chantuneさん、コメントありがとうございます!
ひとりよがりが参考になったんだ…そんなことを思って、
なんだか嬉しくなりました。

投稿: ましろ(chantuneさんへ) | 2006.04.13 11:02

感じた事がちいさなしこりになって
姫の中に残ればいい。
いつか溶けて答えになればいい。

投稿: ユエ | 2006.04.13 23:01

ユエひめ、コメントありがとう~!
この本を読めてすごく嬉しかった。感謝です。
溶けるかな、いつかは。溶けるとよいナ。

投稿: ましろ(ユエさんへ) | 2006.04.13 23:56

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