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2006.04.26

23分間の奇跡

20050423_041_1 答えは無数にあるけれど、そのうちのどれが正しいのか。その中に答えがあるとすれば。もしも、正しい答えがあるとすれば…。ちょうど10年前にはじめて手に取った、ジェームズ・クラベル著、青島幸男訳『23分間の奇跡』(集英社文庫)を再び読んで、わたしは未だに同じ問いを繰り返している。一言で言うならば、“わからない”のだ。子どもたちに向けて語られる易しい言葉。それをどう受け入れ、どう消化すべきか。それが“わからない”のだ。そして、同時に頭を抱えるほどに難しいと思う。民主的だと思わせるリーダーシップと、集団という心理。そこに渦巻くひそやかなる企みの数々が、善と悪の境界を見えなくするから。

 物語は、たった23分間の授業の様子を淡々と伝える。新しい指導者のもとで、これまでのものをすべてくつがえすような理論が展開してゆくのだ。それが正しいのか、間違いなのか。受け入れるべきか。受け入れるべきでないのか。そこは、それぞれの心持ち次第である。わたしたちの自由。わたしたちの国。わたしたちの教育。わたしたちの信仰。新しい教師は、子どもたちにやわらかに問い、教える。ものの見事に。たった23分間で。新しい教師の言うところの“まちがった考え”と“わるい考え”。同じように見えながらも、違う2つ。違うように見せかけつつも、同じ2つ。ここの部分が引っかかる。なんとなく引っかかる。

 集団というものにおいてそういう2つを判断するのは、力のある方。或いは多い方である。多くて力がある。そんな条件を満たしていれば、無敵であるかもしれない。この物語のような、教師と生徒という関係においては、力があるのはまぎれもなく教師の方である。それはもう、圧倒的といってもよいぐらいに。純真無垢な心は染まりやすく、流されやすい。語彙の強い理論を正しいと思いがちでもある。もしも集団の中に、1つ2つの鋭い芽があったとする。それでも、1つ2つではかなわない。少数は多数にかなわないのだ。それを知りながらも目を背けたのは、わたしたちではなかったか。あなたたちではなかったか。そんな思いがめぐってゆく。

 “まちがった考え”と“わるい考え”にまみれて、わたしたちは学ぶ。或いはそうやって学んできた。何が正しく、何が良いのかも知らずに。大人だから。偉い人だから。だからといって、間違わないとは限らない。わたしにとっての正しさが、誰かにとっても正しいとは限らない。わたしのためは、誰かのためにならないのだ。きっと、わたしとあなたが違うように。絶対的なもの。その存在は曖昧で、善と悪の境界だってあやふやなのだ。だからわたしは、わからない。わからないから考える。立ち止まって、思いめぐらす。するりといかない自分を知る。いくつもの選択肢を前にして揺らぐわたしを、ほんの少しいとしいと思う。だからといって、これが正しいとももちろん言えない。

408749357123分間の奇跡 (集英社文庫)
青島 幸男
集英社 1988-07

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コメント

この本もいいですね。
今、村上訳の『ライ麦畑で・・・』を読んでいるので
(大人の作り上げた世の中に嫌悪感を抱き、もがき苦しむ
主人公の気持ちが、重くのしかかってきていて、辛い)
ましろさんの書評に、タメイキが出ました。

投稿: こもも | 2006.04.28 13:10

こももさん、コメントありがとうございます!
村上訳、わたしも読まねば~。
分厚いから逃げ腰なのですが、がんばって読了してみたいです。
ちなみにこの『23分間の奇跡』は、ものすごーく短いのです。
その分、ものすごく重いのですが。
これが児童向けだなんて…かなりの衝撃作ですよ。

投稿: ましろ(こももさんへ) | 2006.04.28 14:44

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