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2006.03.31

小鳥たち

20050511_007 私はひどく嫌悪する。性的なものを。それに纏わる衝動を。それに伴う抑圧を。相反する感情がゆらめきを見せるとき、私はふっと虚しさを思う。あぁ、ここには何もない。何もかもが足りない。すべては、私を排除して成り立っている、と。アナイス・ニン著、矢川澄子訳『小鳥たち』(新潮文庫)は、私の思考をどんどん遠のかせた。エロティックなものから。衝動から。抑圧から。感情の渦から。嫌悪感も虚しさも、何もかもが遠のいて、置き去りにされた幼子のように、ただここに佇んでいる心地になる。ここはどこなんだろう。わたしは誰なんだろう。そんな問いも浮かばぬくらい、何もかもがわからなくなる。空虚なのは、未知だから。未知なるものはわたしだから…?把握しきれぬ思考の先には、私の知らぬわたしがいる。

 この『小鳥たち』に収録された13もの物語は、或る老人コレクターのために匿名で書かれたもの。死の間近になってから、アナイス・ニンが自身の作品であると認めたらしい。描かれるのは、どれもエロティックな物語。あからさまな言葉も場面も、たびたび登場する。私がひどく嫌悪するはずの性的な衝動や抑圧が、溢れんばかりに満ちている。けれど不思議なことに、私はこの物語に嫌悪感を抱かなかった。嫌悪と似た色をしたそれは、むしろ好ましいものだった。繊細に綴られた文章には、人の持つ苦悩が滲んでいた。溺れてもなお、恥じ入ることを忘れていない人々。自分自身が立派な人間ではないことを心得ている人々がいた。私たちが脆いこと。弱さと親しいことを伝える、エロティカだった。

 中でも、文学を感じる「砂丘の女」がいい。眠れぬ夜を彷徨う男が、砂丘で女と出会う物語だ。為すがままの女は、男から目をそらしながら、絞首刑を見に行った際の出来事を語りはじめる。恐怖と救い。死と生命。悲鳴と歓喜。目の前にある痛ましい光景と、自分の身に起きていることとの対比が、印象深く描かれる。きっと、ここにあるのは、分かり易いカタチをした苦悩なのだろう。1つの事象が残酷であればあるほどに、もう1つを対極にあるものとして感じることができるのかも知れない。単純に求め、受け入れられるように。そして、ゆっくりと眠りにつくように終わりを迎えられるように。そっと、消えゆくみたいに。何もかもが幻想みたいに。人の持ち得る欲望は、物語を紡ぎ出す。

 もう1つは「ヒルダとランゴ」。これは、悲しき女の性を描いたような物語。あるとき、主人公の女性は自分の求めていた男性と出会う。“これこそはあるデーモン(悪魔)、かのアメリカ人作家の背後にひそむはずのデーモンの生き姿だ”と。けれど、彼女はもう、彼女にとって仇となる術を身につけてしまっていた。誰かのために、よかれと思って習得したもの。習慣というもの、慣れるということ、そういうものは、時として新たなものの邪魔になる。それに気づく瞬間。それを恥じる瞬間。私はそれを、たまらなく愛おしいと思う。もしも本当に“サスペンスと細心との領域”に踏み込めるのならば、嫌悪のかたまりをほんの少し捨て去らなければ…なんてことを思うほどに。

4102159215小鳥たち (新潮文庫)
Ana¨is Nin 矢川 澄子
新潮社 2006-02

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コメント

読まれたんですねー。
嫌悪感を持たなかったと伺って、ほっとしました!
やっぱり同じように性的なものを描いていても
その現れ方はまた全然違うんだなあと思いました。
でも、その老人コレクターは本当に満足してたのでしょうか!
その辺りが一番気になるところです。(笑)

「アナイス・ニン作品集」も読まれたようですね。
私も読んでみたいです。

投稿: 四季 | 2006.04.04 06:32

四季さん、コメントありがとうございます!
私がこの物語に嫌悪感を抱かなかったのは、
いやらしさがなかったからでしょうか。
なんだか不思議な心地です。
性的な意味合いで男性が満足できるのかは、
やはり気になるところですよね。

「アナイス・ニン作品集」の方は、「小鳥たち」とはまた違う魅力がいっぱいです。
贅沢な読書時間を過ごした気がしています。
すごく美しい1冊ですよ~。

投稿: ましろ(四季さんへ) | 2006.04.04 17:46

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