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2006.03.10

おやすみ、こわい夢を見ないように

20051102_023 感情のままに生きることは、容易く思えて難しい。世の中が、時間が、何よりもコチコチに固まったモラルというのものが、邪魔をするのだ。ふと湧き上がる感情は、そういうものに紛れてぼやけて、その存在を曖昧なものへと変えてしまう。角田光代・著『おやすみ、こわい夢を見ないように』(新潮社)には、そんなことを思わせる物語が7つ収録されている。感情の中でも特に、“悪意”というものを。物語は疼き出す悪意を、“殺してやる”とか“死んでしまえばいい”とか“呪ってやる”とかいう、どこか陳腐でありふれているのに、なんとなく現実味帯びない言葉で示している。一度は頭の片隅で考えたり、口走ってしまったりするそんな言葉の数々は、こんなにも人を強く捉えるものだったのか。不快にならない自分にも驚きつつ、さまざまに思いをめぐらせた。

 思えば、私たちの暮らす日常には、確かに死も殺人も当然のようにある。遠い異国の話のように、自分には関係のないことだと片隅で思うことの方が、本当はおかしいのかも知れない。それなのに、あまりに安易に究極の言葉を放っている私たち。その本当の意味を、意識などせずに。無責任に放っているのだ。物語に描かれる言葉は、事件として騒がれるような類の欲望には発展しないが、発展しないがゆえの恐ろしさがある。心には、溢れそうなくいらいいっぱいに、そういう感情を秘めているからだ。世の中に渦巻く見えないかたまりとして、傍に横たわっているかも知れないそれは、喜びや哀しみよりも深く記憶に刻まれて、いつ爆発するとも分からぬ強烈なエネルギーに満ちているのかも知れないのだ。だから怖い。とてつもなく怖い。

 ここからは、印象深かった作品の話を。まずは「うつくしい娘」。主人公の加代子の働く工場でのうわべだけの世間話と、いるようないないような存在感を放つ新入りの若い女、母親である加代子の存在を否定している娘が、物語には描かれている。世間話は過激な話題になりながらもやはり世間話でしかなくて、若い女は流行を身に纏っていなくても今どきの若い女でしかなくて、理由のない苛立ちを抱いても抱かれても母と娘であることになんら変わりはない。そこに虚しさを覚えながらも、安心してしまった私は歪んでいるのかも知れない。だが、思い描いた夢というものをぶち壊す現実は、ありふれていてもいとしいのではないのか。何かに突き動かされるようにして込み上げる感情だって、それぞれに特別なものに違いない。そう思うのだ。

 最後の「私たちの逃亡」は、親の言うままに通っていたバレエ教室で出会った少女に渦巻いていた憎しみを、大して親しくもなかった同級生の事故死によって思い出す話。少女という時期に抱いた残酷な感情を、失わずに持ち続けること。それは、どこか神秘的な匂いを漂わせながらも、世間的に見てみるとあまりに奇妙である。その奇妙さを特異なまでに秘めたままの少女は、自分の中に閉じこもり、やがて主人公の心を曇らせる。少女から遠ざかった理由。少女を恐れた理由。年月を経てやっと向き合う決心がついたとき、もう遅過ぎることを知るのだ。でもきっと、変わったのは私だけじゃない。あなただけでもない。世の中だけでもない。成長すること。時が過ぎるということ。何もかもが流れている、ということなのだろう。私の解釈はこんな感じで終わる。

4104346020おやすみ、こわい夢を見ないように
角田 光代
新潮社 2006-01-20

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コメント

思うこと、言葉にすること、実際に行動すること。
多分、この三つの行動様式の間には大きな溝がある。
頭では理解できたつもりになっても、その溝を越えていくということの意味が本当のところは何もわかっていないんじゃないかと思うときがある。
そんなときは、もっと人と会わなければ、もっと本を読まなくては、と思う。

投稿: ゆうぴん | 2006.03.11 11:39

ゆうぴんさん、コメントありがとうございます!
大きな溝。私はまさにわかってない人なんでしょうね…
自分という者は、無意識、無自覚な人である気がしてしまう。
配線の壊れた思考は、めちゃくちゃ。
だから衝動的になる。動けなくもなる。まっしろにもなる。
でも不思議なもので、そういうのも悪くないかな、なんてことも思うんです。
生身の人間であることに、ほっとするのかも知れません。

投稿: ましろ(ゆうぴんさんへ) | 2006.03.11 13:24

ましろさん、こんばんは。

心の中にある「悪意」
持っているのに、いえいえ、私は悪意などもっていませんってふりして生活してるようなきがするんです。
だから、悪意が自分の中にあってもいいんだ。爆発させなければダイジョウブ、ダイジョウブって思えました。

「うつくしい娘」はすごく印象的でしたし、「おやすみ、こわい夢をみないように」の造語「ラロリー」がすごく気に入っています。

ブログ引っ越しまして、新しいブログからTBさせていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

投稿: なな | 2006.03.11 23:02

ななさん、コメント&TBありがとうございます!
きっと、誰もが持っていないフリをしてるんでしょうね…
私は10代の頃、ほのかに悪意をばらまいていたことがあるので、
“ダイジョウブ、ダイジョウブ”って言い聞かせないと、ときどき不安です。
とどめておかなくっちゃ、と。

ブログ、シンプルなテンプレでよいですね!
まっ白なテンプレに恋い焦がれつつ、なかなか踏み出せないままなのでうっとりしております。
では、ラロリー(笑)

投稿: ましろ(ななさんへ) | 2006.03.12 16:10

TBさせていただきました。
日常に渦巻く、悪意をいろんな形で表現されていて、読み応えがありました。
大部分の人はこのふくらんでしまった、悪意を、爆発せずに持ち続けているのでしょうね。
誰もが、このような気持ちを抱いていることに、自分自身と重ねて、なんだかほっとしたのも事実です。

投稿: | 2006.03.13 20:04

花さん、コメント&TBありがとうございます!
読み応えありましたね。普段なら躊躇する厚みでしたが、トライしてよかったです。
本当は、危機感を持たなくちゃいけないのでしょうけれど、
思わずほっとしちゃいますよね。
いけないイケナイ…

投稿: ましろ(花さんへ) | 2006.03.13 23:42

こんにちは。続けざまにTBさせてもらいました。
これ、怖かったですね。黒角田、怖い・・・。
私はあまり怒りを表に出す方じゃないので、いつもいやなものが溜まっている気がしてます。太ってきたのもそのせいか?なんてこの本で思ってしまいましたが、ただの食い過ぎです。苦笑。
でも怒りをはき出せばいいのかと言われても、それも怖いし。ずっと清い気持ちじゃいられませんよね。悪意ともうまくつきあってくしかないんでしょう。
悪意がたまって醜くなるのはやだな。朗らかなデブを目指します(いや、痩せろ。と一人つっこみ)

投稿: ざれこ | 2006.06.12 17:19

ざれこさん、コンバンハ。
コメント&TBありがとうございます!
わたしこそ、続けざまにさせていただいちゃいまして。
TBは消極的なのに、先日は急に“TBしないと!”と妙に掻き立てられて。
もしやこれは、心の底で眠る悪意のせい?
黒角田さんの影響?…って、思ってみたり。

わたしも痩せねば!ざれこさん、頑張りましょう。
女盛りなんですから。
でも、薄着の季節は生活が困難ですね。
はぁ。

投稿: ましろ(ざれこさんへ) | 2006.06.12 21:15

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