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2006.03.06

アルカロイド・ラヴァーズ

20051104_038 今、目の前にあるように思える現実と、夢とも過去とも幻想とも見分けのつかぬものの交錯する、星野智幸・著『アルカロイド・ラヴァーズ』(新潮社)。それは、私にとって、とてつもなく引き込まれる物語世界で、その匂い立つ毒と放たれる言葉に浸っているのが、なんとも心地よく感じられた。そこに横たわる意味合いが、今いる自分の地点への安住ゆえのものなのか。今生きる時間、1つ1つの瞬間すべてが余生ゆえのものなのか。それとも、ただ物語に寄り添ったつもりになって、登場人物に同化してしまったゆえなのか。描かれている楽園(パラデイソ)の方が、現実よりも色濃く思えてしまうのは、きっと私の思考の配線のゆるみと混乱のせいだけではない。だって物語に導かれてゆく思考は、いびつに歪んで戸惑いつつも、あまりに愉快なのだから。

 自分の部屋が燃えていることに高揚して、懸命に走る咲子。そんな場面から、物語は始まる。部屋にいるはずの陽一が、腐れ縁のベンジャミンが、燃えゆく様を思って“ブラボー”なんて喜ぶ理由。物語は、そこに至るまでの経緯を丁寧に追っている。咲子の部屋の窓際には、無数の鉢植えの植物がある。“いざというときの非常食”という表向きの口ぶりは、陽一からの34歳のプレゼントであるベンジャミンに乱される。細い3つの幹を編むように絡ませたベンジャミンに想起される、人の首。それも、楽園にいた頃に愛し合ったサヨリが、目を閉じてうつむき、青ざめている首に。生い茂る葉は、ショートカットを毛羽立てたサヨリそのもの。不気味である。恐ろしい光景を思わせる。けれど引き込む。

 咲子の言う楽園。夢とも過去とも幻想とも見分けのつかぬそれは、何度も繰り返し生き直せる場所。誰かを愛するために誰かになり、その他の邪魔な生を奪いつつも、生まれ直した生を育てる場所である。繰り返される憎悪と欲望に学ぶ者などはおらず、似たような過ちの中で似た生を繰り返し、ただ愛のままに生きて死ぬ。そして、再び生まれる。そんな楽園を追放されて罰を与えられた咲子は、落とされた地で、かつて愛したサヨリの首に出会ったのだ。そして、ちらりと存在を主張する楽園にいた者の姿が、咲子の罪深い行いを思い出させ、今ある生というものを、償いとしての余生だと信じ込ませる。そして、そんな生き方の中に、道連れのごとく陽一を引き込んでいる。だから少しずつ、毒を盛っていたのでしょう?

 と、ここまで勝手な解釈をあれこれ並べてみたけれど、物語のどこに着目するかは人それぞれなのだと思う。陽一という存在はあまりにも曖昧であるし、そもそもその素性は怪しすぎる。役所勤めをしていたことくらいしか、確かなものはない。咲子に飲まされる薬らしきモノの正体にだって、気づいているのに従い続ける。また、自分を詩人だとか作家だとか名乗る男や、咲子が最期の身を委ねる<わたし>だって、あやふやな存在だ。もしかしたら、ベンジャミンだけが確かなのか。その生命力、その佇まい、その逞しさ。植物にみなぎる力に負かされたくない。どこからなのか、そんな思いがじわじわと広がってゆく。曖昧な私も、ほんの少し、確かなものになるならば。

4104372021アルカロイド・ラヴァーズ
星野 智幸
新潮社 2005-01-26

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