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2006.02.15

白いメリーさん

20050215_001 饒舌な孤独と狂気。恐ろしくも愉快な小咄のような物語には、そんな言葉がよく似合う。さまざまな思いがひしめく作品には、奇才ならではの匂いが感じられる。9つの短編からなる、中島らも著『白いメリーさん』(講談社文庫)は、私の中に鮮やかに残る物語の1つである。ページをめくらずとも、読み終えたときの感情や物語のあらすじがすっと浮かんでくる作品というのは、意外に少ないものなのだが。それゆえ、私にとっては別格の作品である。どの短編も奇妙でありながら、現実的。なおかつ幻想的、という不思議な雰囲気を漂わせている。中でも、余韻のインパクトが凄まじい表題作「白いメリーさん」。切なさとやるせなさがじんと響く「夜走る人」。何度読み返しても、この2作品は変わらずに好きである。

 表題作「白いメリーさん」は、様々な噂が実体を生み出す物語。さまざまな憶測と無責任な人の口によって、はやり病のように生み出されては消えゆく運命にある噂話。それを調査しているフリーライターの男性とその娘が物語の中心である。娘はいつの間にか、亡くなった妻の役目と、子供としての自分という、錯綜したいくつもの役を懸命に演じるようになっていた。そんな娘から“白いメリーさん”の話を聞いた男性は、取材のために娘の友だちをも巻き込み始める。取材をすればするほどに、曖昧になる噂。追い込まれる娘の立場。周囲が押す「嘘つき」の烙印。閉ざされる心。悔やまれる思い。噂がもたらした結末。それはあまりにも悲しく、とてつもなく惹きつけられる危うさに満ちている。

 この物語に横たわる人間の狡さは、滑稽ながらもなかなか痛い。そもそも噂話というものは、憎むべき存在ながら、なかなかどうして面白いのだろう。あの高揚感はどこからくるものなのか、興味深いものである。噂は噂を呼ぶ。噂話をする中心に我が身を置いても、噂の中心に誰も身を置こうとしない。自分は噂を知っているけれど、それに関する確かな事実だとか真実味だとか、そういうことには一切責任は持ちません。そんな身勝手なスタンスが貫かれている。必然なのか、偶然なのか。浮ついたものが大好物な私たちは、つい聞き耳を立ててしまう。そして、ついつい誰かに語りたくなる。見事に築き上げられる連鎖。それに伴う悲劇になんて、噂に高ぶる者は気づかない。それをさらりと描いているのが、私には素敵に思えてしまう。

 続いて「夜走る人」。これは、夜に走る男の躍動感と孤独が、背中にぞぞっとくる。それは、私が夜明け前に走ったことがあるからなのかも知れない。まだ、にじむ街灯の明かりだとか、耳に響く自分の息づかいだとか、頬にあたる空気の感触だとか、伸びゆく自分の影に少し怯えながら道を進むあの感じだとか。そして、まだ眠りから覚めていない街にある、なんとも奇妙な光景だとか。物語の中にあるのは、私にはあまりにも馴染みのない世界だけれど、走る男の視線の置き所と過ぎゆく景色とに、いつの間にか入り込んでいる自分を感じてしまうのだ。見てはいけない世界。足を踏み入れたらいけない世界。でも、それに心奪われそうになる人間の性みたいなものを。だから私はもう二度と、夜には絶対走らない。そう決めなくてはなりませぬ。走るな危険。衝動は抑えるべきもの。

4062635771白いメリーさん (講談社文庫)
中島 らも
講談社 1997-08

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