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2006.02.17

虹とクロエの物語

20050906_142 まばゆい光りの中で、脳裏に浮かび上がる記憶。確かに共に過ごしたはずの日々は、あまりにも淡くて曖昧にそこに在る。手を伸ばせば届きそうなくらいに近いのに、やはり遠くに在る。もう戻れない。でも、ひょっとしたら何らかのカタチで、すぐそばまでは近づけるかもしれない。例えば、“戻る”ではなくて“はじまる”というカタチで。“懐かしむ”ではなくて“過去の延長線上にある今を感じる”というカタチで。星野智幸・著『虹とクロエの物語』(河出書房新社)は、そんな思いを抱かせる作品である。20年前、少女だった虹子と黒衣(クロエ)の濃くて特別な二人の時間。そして、20年後のそれぞれの時間。それに関係する、無人島で暮らす男性。20年間を生まれおちることなく、胎児のまま生きている存在の<わたし>。それらが絡まり合い、1つの物語を成している。

 物語は、胎児の回想からはじまる。生命力に満ちているわけでもなく、世界を知りたいと思うわけでもなく、20年もの間、我が身のおかれている状況を受け入れている胎児である。そこに響く音。そして痛み。時間の流れのままに意識しはじめたものに従い、そこに“在る”のだと信じている。<わたし>の意味は。<わたし>の仕組みは。<わたし>は誰か…問いかけ続けている。どこにもおさまることのないその存在は、何者でもない。同時に何者でもある、不可思議なもの。何者にでもなり得るゆえに、踏み止まっているのか。安住しているのか。外側なのか内側なのか、あまりにも曖昧になった世界から伝わってくる情報は、そこに居続ける胎児を揺さぶるほどの力はない。だから生まれない。だからそこに“在る”のだろうか。わからない。だからこそ惹かれる。

 虹子とクロエの出会いは、ちょっとした悪戯のようなものだ。一瞬のやり取りにして結ばれ、強く深く根をはった。そんな関係である。周囲よりも一足先に大人に近づいた二人は、その世界を自らの方法で築きあげ、ふいに足下に転がってきた1つのサッカーボールが、それを確固たるものにする。球を蹴り合う。それによってもたらす会話、感情、リズム。二人だけの言語が、そこにはあった。けれど、そんな日々が永遠に続くはずはない。少しずつのすれ違いは、二人をどんどん遠ざけてゆく。憎み合うわけじゃない。強く軽蔑し合うわけじゃない。口先だけの言葉を真に受けるほどの、弱い結びつきのはずもない。お互いを知りすぎている。知りすぎているゆえに、きっかけは些細だ。積もりに積もれば、些細なものはそれでなくなる。

 物語には、世の中に対する風刺のようなものも読みとれる。虹子とクロエは、サッカーというよりも、“球蹴り”に夢中な少女時代を過ごした。クロエと離れた虹子は、その頃に軽蔑していたはずの、にわかサッカーファンになり下がってしまう。それも、卑屈なまでのシンクロを武器に。“中田こそは私に応えてくれる”とか。“その無限の可能性に釣り合うのは私だけ”とか。自分の愚かさには気づいている。でも、そうならざるを得ない何かが虹子を捕らえるのだ。虹子をそう動かすのは、クロエだろうか。世の中だろうか。それとも彼女自身だろうか。20年もの歳月は、そう簡単に答えは教えてくれないのだ。でも、いい。誰かの記憶は、別の誰かの記憶を呼ぶに違いないから。

4309017436虹とクロエの物語
星野 智幸
河出書房新社 2006-01-06

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コメント

こんにちは!
星野智幸の作品はいつも新しい驚きがあって楽しみです。
今回のストーリーも物語が絶妙の均衡をとっているようでとてもよかったです。

投稿: uota | 2006.02.20 21:24

uotaさん、コメントありがとうございます!
私は、はじめての星野智幸さんの作品でした。
まさに“絶妙な均衡”だったと思います。よかったぁ。
もっと足を踏み入れてみたい、という気持ちになっております。

投稿: ましろ(uotaさんへ) | 2006.02.20 23:05

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