« 闇のなかの赤い馬 | トップページ | インド夜想曲 »

2005.12.13

アビシニアン

20051010_069 猫に学ぶことは多い。例えば、その言葉を超えた感覚的な伝達方法だとか、その鋭敏な嗅覚だとか。漂う臭いや気配、その醸し出す雰囲気をすばやく察知するその能力。人間が普段用いることができないその五感を強く刺激する、名もなき猫と名を棄てた<わたし>、或いは賢い猫と不器用な人間の物語が、古川日出男著『アビシニアン』(幻冬舎)である。ただ生き延びるために、自分自身を証す術以外の全てを棄てた<わたし>。その傷を、その痛みを、道連れにして。10億年のときを経て、名もなき猫・アビシニアンのいるはずの都市公園を中心に、新たなテリトリーで生きることを<わたし>は決める。ひどく猫的に。ほとんど猫として。

 物語は「二〇〇一年、文盲」「無文字」「猫は八つの河を渡る」の3部構成。1部では、<わたし>が新たな生きる場所を求めたきっかけ、アビシニアンとの再会、アビシニアンとの暮らし、別れまでが綴られる。2部では、“猫舌”という店を主な舞台とした愛の物語が展開。偏頭痛の発作を抱え、顔写真のコラージュにセリフを書き連ねる大学生・シバが主人公。彼の語る物語と痛みと翳りとが、もうひとつのそれらと固く固く結ばれる様子が鮮やかである。3部では、それぞれの物語が1本に繋がり、アビシニアンとの別れからの<わたし>が描かれる。<わたし>の家族となった女性の物語も、もちろん<わたし>の愛するシバについても。

 先に述べた“ひどく猫的に。ほとんど猫として”について。さらに言葉を加えるならば、“ノラ猫としての”。人間がこれまで生きてきた上でのあらゆるしがらみや環境、経済的な事柄を棄てることは容易なことではない。新たな場所と精神で始めるにしても、必要不可欠なものがあるわけである。例えば、衣類や生理用品。毛皮を持たないゆえに、女に生まれたゆえに。仕方のない必需品。ニクイまでに詳細。このことは、猫を包むように体を横たえて丸まり、お互いの体温を交換し合い、思いを重ね合わせることができても、ひとりと1匹が求め合う愛しい時間が一致しても、同じ生き物になることができないという事実である。突き刺さるくらいの。痛みを覚えるくらいの。

 彼ら(猫)と私たちの領域。それはもしかしたら、決して交わることのないものなのだろうか。これは、人間でもない猫でもない<わたし>を思うとき、浮かんできた疑問である。私たちはしばしば無遠慮に彼らの領域を乱し、ズカズカと足を踏み入れる。彼らの視線の先にあるものを遮り、そのゆったりとまどろむ時間を奪う。我が物顔で。愚かな笑みさえ浮かべて。彼らの秩序、そのバランス、その重み。手に入らないそれらを、きっと私たちは欲しくてたまらないのだ。今いる場所に留まるために。生き延びるために。此処にいる意味を、術を、どうしても見出したいがために。けれど、彼らは答えを差し出すことなく、ただ遠くを見つめているだけである。

4344000072アビシニアン
古川 日出男
幻冬舎 2000-06

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログがいっぱい!

|

« 闇のなかの赤い馬 | トップページ | インド夜想曲 »

45 古川日出男の本」カテゴリの記事

71 猫の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

アビシニアンを飼っているので、
興味深く拝見させていただきました。
読んでみたいとおもいます。

投稿: かわいいネコの写真館:かわネコ | 2006.11.16 16:42

かわいいネコの写真館:かわネコさん、コメントありがとうございます!
アビシニアンを飼ってらっしゃるんですね。
可愛いですよね。とっても。
わたしもいつか飼ってみたいです。

投稿: ましろ(かわいいネコの写真館:かわネコさんへ) | 2006.11.16 17:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/7590617

この記事へのトラックバック一覧です: アビシニアン:

» 再掲 ◎「アビシニアン」 古川日出男 幻冬舎 1400円 2000/7 [「本のことども」by聖月]
日曜の朝は、まず新聞2紙を読むことから始まる。アイスコーヒーを飲みながら、日曜版必須の書評欄などを眺めつ読みつ、眠っている間にフニャフニャになってしまった自分の脳みそを折り目(シワ目?)正しく立て直し、そしてPCに向かってこの1週間で読んだ本の書評を書き出す。それが評者のやり方であり、それが評者の日曜の朝なのである。 今、これを書いているいるわけなのだが、当然本日(2004/4/18)の新聞に目を通した直後なのである。待っていました!の記事を読んだ直後なのである。その記事はというと、全国の書店... [続きを読む]

受信: 2005.12.15 08:10

» 古川日出男のことども [「本のことども」by聖月]
  ◎ 『13』   ◎ 『アビシニアン』 ◎◎ 『アラビアの夜の種族』 ◎◎ 『中国行きのスロウ・ボート RMX』   ○ 『サウンドトラック』 ◎◎ 『ボディ・アンド・ソウル』   ○ 『gift』 ◎◎ 『ベルカ、吠えないのか』   △ 『LOVE』... [続きを読む]

受信: 2005.12.15 08:12

» 「アビシニアン」古川日出男 [AOCHAN-Blog]
タイトル:アビシニアン 著者  :古川日出男 出版社 :幻冬舎 読書期間:2006/02/07 - 2006/02/08 お勧め度:★★★ [ Amazon | bk1 | 楽天ブックス ] 「あなたには痛みがある」そう言った彼女は字が読めなかった。ぼくは激痛の発作におびえながらも急いで書かなければならない。僕と彼女の愛についての文章を。気高く美しい者たちの恋愛小説。「ベルカ〜」が犬だったので、じゃ次は猫か?ってことで本書を選びましたが、同じことを考えていた方がいました。なんだかちょ... [続きを読む]

受信: 2006.03.07 13:40

« 闇のなかの赤い馬 | トップページ | インド夜想曲 »