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2005.12.19

ベルカ、吠えないのか?

pochi これは悲劇である。イヌと人間の。また、この世界を生き抜いた証でもある。込み上げる熱い感情の置き場が見つからないまま、多くの試練や数々の生死、繰り返される闘いに目を奪われる、古川日出男・著『ベルカ、吠えないのか?』(文藝春秋)。それは、己との闘いでもあり、敵との戦いでもあり、同士との戦いでもある。強い者が残る。必然的に。身も心も耐えうるだけの強さがなければ、ただ途絶えるのみ。そこには平等も不平等もない。描かれる20世紀の軍用犬の歴史の中で、その時代ゆえにイヌたちは翻弄される。愚かな人間に。勝手気ままに。或いは、確信を持って。戦争と欲望の道具として。その習性ゆえ。その能力ゆえ。その本能ゆえに。

 うぉん。という鳴き声と共に語られる20世紀。物語は、ただのイヌの話ではない。偉大な、本物の、イヌの話なのである。英雄と語られるに相応しいイヌ。ぬくぬく暮らす飼い犬とは比べものにならないくらいの。これは、決して生易しい物語ではないのだ。生まれては死んでゆくイヌたち。無限に増え、血統は続き、絶たれてもなお、複雑にその系統樹は広がってゆくイヌの物語。至るところで繰り返される繁栄と衰退。どこまでも根をはり、枝を伸ばすように繋がる線を思うとき、私という存在もまた、そうやってこの世に生まれたのだと思い知る。これまで歴史を、様々なルーツを気に留めることなく過ごしてきたことをひどく後悔しながら。

 物語はイヌたちの歴史ばかりでなく、いくつもの伏線を張りめぐらせながら、人間の歴史や成長をも語る。例えば、世界へと手を広げようとしているヤクザの娘の。イヌに人間襲撃を訓練する老人の。裏社会に生きる者たちの。イヌに欲望を見出した者たちの。彼らの生きる場所には、もちろんイヌがいる。ときにイヌたちは彼らの手となり足となり、敵にも味方にもなる。中には同士となるイヌもいる。イヌは、その命を繋ぐために人間をも食べる。仲間をも食べる。個人的な関係に左右される時代や人間に翻弄されながらも、その上を行く。経験と訓練と本能を発揮して。世界の最下位にまで落とされても、生き抜くことのできるイヌは残る。

 この数奇な運命をたどるイヌたちの物語は、なまぬるく生きる者を戒める。時代が違う。生きる世界が違う。環境が違う。そもそも私はイヌではない。そんな言い訳を全て却下するほどのチカラをもって。謙虚になれ。耳を傾けろ。己を知れ。イヌたちはそう語りかける。長い命も短い命も、その生をまっとうし、深い何かを刻んでゆく。この先続く生へ。もちろん、それ以前の生へも。おまけにちっぽけな私の生へも。イヌ。その存在を侮るなかれ。圧倒的な筆力を感じさせる物語は、歴史も地理も苦手な者をもその世界へと誘うはず。現に私がその典型であるから。ここまでの文章に年号も地名も出てこないのは、そのせいである。威張るな、私。

 ※画像はベルカとは一切無関係な、今は亡き愛犬ポチ。

4167717727ベルカ、吠えないのか? (文春文庫 ふ 25-2)
古川 日出男
文藝春秋 2008-05-09

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コメント

こんばんは。イヌのお写真珍しいなあと思ったら、
愛犬ポチくんですか。むっちゃかわいいし。ああもうむっちゃかわいいし(イヌ派)
ご冥福をお祈りします。

この本ではたくましいイヌばかり出てきましたね。素晴らしい。久々の興奮本でした。

投稿: ざれこ | 2005.12.20 02:09

ポチくんの写真、いいですね。
りりしくて、愛嬌がありますね。
この本の表紙は、恐ろしいので(笑)、この画像はうらやましいです。

この本には、本当に度肝を抜かれました。
大作ですよね。
読むのに気力と体力がいりましたが、読んだかいがありました。では!

投稿: ゆうき | 2005.12.20 02:38

ワンちゃんの歴史と言うか存在を中心と
しながら,人間をも語るなんて,考えた事も
なかったなぁ。犬の気持ちははっきりとは
分からないけれど,1匹づつ,それぞれに
思いはあるだろうし,もしかしたら彼らは,
「集合無意識」みたいなものに,我々よりも
いつも近くにいるのかも知れない。侮れない
と言うか,もっと謙虚な目線で世界を見ないと
な。うん。侮れないなんて言った時点で,
自分がおごっている事が分かってしまった。
思った以上に,自分は世界がちゃんと見えて
いないのかも知れないなぁ。

投稿: mao | 2005.12.20 06:20

ざれこさん、コメント&TBありがとうございます!
ポチ、かわいいじゃんねぇ。←甲州弁?

物語に登場するのはたくましいイヌたちばかりだから、
そういうイヌを載せようと思っていたのですが、
甲斐犬(私を噛んだ愛犬)もジャーマンシェパード(ポチの愛した美犬)も
写真が見つからず。
大作を読みながら、載せる画像のことばっかり考えていた私です。

投稿: ましろ(ざれこさんへ) | 2005.12.20 17:00

ゆうきさん、コメント&TBありがとうございます!
表紙はホントコワイですよね。
まさに“うぉん!”って吠えているような感じで。

気力体力は私もかなり消耗した気がします。
読み応え充分!たっぷり満足。
読んでよかったなぁと心から思える作品との出会いは、とても嬉しかったです。

投稿: ましろ(ゆうきさんへ) | 2005.12.20 17:09

maoさん、コメントありがとうございます!
この作品を読んだ後、イヌのことを“ワンちゃん”って言えなくなるかもしれません。
窮極のワンコの中のワンコばかりが登場するので。
って、“ワンコ”とかまだ言ってるし、私(笑)
もっと謙虚にならねば、と強く思います。
よく考えてみれば、世界を見るほどの広い視野を持ち合わせていなくて、
人間として“私にはこれができる”というものがあるわけでもなくて、
それなのに偉そうなことをぼやいている自分がいる。
情けなくも、私は自分自身を知ることからのスタートになるかもしれません。

投稿: ましろ(maoさんへ) | 2005.12.20 17:31

あぁ、私が昔飼っていたワンコも「ポチ」であります!
その前の子が「コロ」。

今見たくおされなミニワンコじゃなくて、雑種のワンコでしたが、愛してました…!

この本は語り口のすばらしさ、そして発想のすばらしさに脱帽でした!

投稿: chiekoa | 2005.12.20 19:04

chekoaさん、コメント&TBありがとうございます!
chekoaさんの飼っていたワンコも“ポチ”でしたかぁ。“コロ”も可愛い名です。
ウチは、今もおされじゃない雑種ばかりですが、愛しておりまする。

語り口、発想、ホント素晴らしい!
古川日出男作品はまだ2冊目ですが、読破を目指したいと思います。

投稿: ましろ(chiekoaさんへ) | 2005.12.20 19:20

これいい本ですよね。
今年もっとも印象に残ったもののひとつです。
ワンちゃんではなく、昔の犬がたくさんでてきて刺激的な近代史でした。
宇宙に行ったライカ犬もピリッときいてすきです。

投稿: uota | 2005.12.20 21:25

uotaさん、コメント&TBありがとうございます!
ライカ犬の存在は、確かにピリリですね。
後からじわじわと余韻を感じております。
歴史的背景や(当時の)大きな出来事についてあまりにも無知だったので、
私自身が物語に呑まれて翻弄された感がありました。
いい作品だけに、私の読み方が甘かったなぁと反省しつつ。

投稿: ましろ(uotaさんへ) | 2005.12.21 18:38

今晩は。勝手にTBしてごめんなさい。私は古川作品初めてのように思います。もう少し付き合って見ましょう。そちらはネコさん、私は梟です。よろしく。

投稿: saheizi-inokori | 2006.01.15 23:30

saheizi-inokoriさん、コメントありがとうございます!
いえいえ、TBはどうぞどうぞぜひぜひ。
猫狂いなので猫モノ「アビシニアン」→犬モノ「ベルカ」と読んだのですが、
次であれれと。梟モノもあればいいですねぇ、なんて思ったりします。

投稿: ましろ(saheizi-inokoriさんへ) | 2006.01.16 20:02

こんにちは。ぱんどらと申します。
ときどきトラックバックさせていただいてます。

この本、わりと薄いのに読み終えるまでけっこう時間がかかりました。
でも面白かったですね。

古川日出男の「アラビアの夜の種族」は読みかけて放り出したままなので、ちゃんと読みたいと思ってます……。

投稿: ぱんどら | 2006.02.14 11:17

ぱんどらさん、コメント&TBありがとうございます!
私も時間がかなりかかったように思います。
その後も、古川氏の作品にあまりに時間がかかったので、
相性が悪いのかな…なんて思いつつ、読んでおります。
「アラビアの夜の種族」、私も読まねば、と思います。

投稿: ましろ(ぱんどらさんへ) | 2006.02.14 16:58

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