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2005.12.26

明るい夜

20041212_008 自分一人だけが世界から剥がれ落ちてゆくような感覚。押し寄せてくる何かに怯えるような恐怖。そういうものが細やかに描かれている、黒川創・著『明るい夜』(文藝春秋)。さらりと読めてしまうのに、内容に密度の濃さがあって引き込まれた作品である。ちょうど、私自身と同年代の、モヤモヤしたものが似ている登場人物がいるということもあって、物語に心地よく浸れた。浸りすぎなくらいに。眠れない<わたし>とその友人。小説を書くと言いながらも、なかなか書くことのできない<わたし>の恋人らしき男性。もう、その設定だけで充分。それに加えて、青春小説にありがちな取って付けたような若さではなく、絶妙なところを突いてくるいい雰囲気がある。

 物語の前半で印象深いのは、ウィークデーにもかかわらず、ぶらぶら散歩する<わたし>とその友人の会話。2人は、小説を書くと決めて無職になった男性を、遠くから眺めてあれこれ勝手気ままに語り尽くす。もう、それは言いたい放題で、その男性が知らないのが救いであるくらいである。彼女たちは場所を移し、河原に座ってぬるいビールを啜る。そこで繰り広げられる内面の吐露。おぼつかない足取りの。胸を張って“若い”とは言えなくなった微妙な年齢の。ゴミをきっちりレジ袋に入れて持ち帰る几帳面さがあるのに、暮らし全体はあまりにだらしない。けれど、彼女たちなりに必死な部分が伝わってくる。考え、悩み、迷いながらも進む。そういう部分を。

 例えば、眠れない<わたし>が“眠れない”と“眠りたくない”を考える部分。その2つの境界はあやふやながら、どちらも眠りを妨げる要因であると。眠ってしまうことで消えてしまう自分。今日とは違う自分を拒むもの。それを求めるもの。そういう葛藤の中で、様々な足掻きを見せる。ゆっくりと。でも、確かな手応えをもって。その過程にある苛立ちも焦りもむかつきも描かれながら。その他にも、“わからない”と相手に伝えることの難しさについての部分。それは、“わかる”いうよりもずっと誠実なものなのであろうか。“わからない”ことも含めてお互いを認め合うこと、それこそが本当の意味での共感なのだろうか、と。そんなふうに思いめぐらせてしまった。

 それから感覚として興味深いのは、物語のところどころに出てくる距離感。山紫水明(さんしすいめい)だったり、人物デッサンだったり。近すぎるから見えるもの。遠すぎるからこそ見えるもの。その中間を示す言葉が山紫水明らしい。同じ場所からばかり見てしまいがちな日常を思って、思わずしばし目を閉じてしまった。深いため息も1つ。その中にあったのは、言葉に対する感嘆と密やかな期待。見るべきものと見たいものが、見えるか見えないか。それはすべて、自分次第だと思い直した瞬間でもあった。そして物語には“何事にも始まりというものがなければならず、その始まりはもっと前からあった何かとつながっておらねばならん”という序文がある。この言葉にも結末でぴりりときた。

4163243704明るい夜
黒川 創
文藝春秋 2005-10-12

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