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2005.11.30

エドワード・ゴーリーの世界

20051130_020 独特の韻と独自の緻密なモノクロームの線画が魅力的な、エドワード・ゴーリーの作品。けれど、あまりにその数が多いことを知り、ガイドブック的なものに手を出してしまった。その心地よく秘密めいた崇高で不条理で神秘的な世界を楽しめる、濱中利信編、柴田元幸・江國香織ほか『エドワード・ゴーリーの世界』(河出書房新社)。挿画、舞台美術、ミュージカルや児童書の展示会やテレビ番組のポスター、飛び出す絵本、様々なグッズも載っている。熱狂的なコレクターにとっては、悲鳴ものの貴重なものばかり。中でも、ゴーリー・キャットのぬいぐるみは愛嬌があってかなり可愛い。猫狂にはたまらないものがある。

 私が何よりも知りたかったのは、『題のない本』に関すること。青い表紙のこの作品は、定点観測のような絵と不思議な文章(ほとんど意味不明)で、シュールな世界が展開。窓のある建物の一部と、一本の木、画の半分ほどの高さの塀は同じ位置のまま、窓から子供が顔を覗かせたり、奇妙な動物が登場したりする。ぐいっと引き込まれる作品なのに、その解釈があまりにも多様過ぎて頭がパンパンになってしまっていたので。でも、詳しいことは何もわからず。ゴーリーが実験的な手法として用いたことだけはわかったのだけれど。あまり難しく考え過ぎないようにしとこう。だって、ゴーリーは作品について多くを語らないから。

 『エドワード・ゴーリーの世界』の中で面白いのは、出版社や書店を悩ます程のゴーリーのこだわり。作品があまりにも小さかったり、内容がある意味過激だったり、独自の韻と造語により翻訳が困難だったり。ゴーリーをよく知る人、ゴーリーの作品を愛している人から語られる様々なエピソードは、作品以上にその人物像が魅力的かつ、魅惑的なことを証明している。顔一面のモジャモジャ髭、毛皮のロング・コートにスニーカーというファッションで何処へでも出かけ、自身の作品に自分を登場させていたゴーリー。そういう遊び心も、ほんのりと自虐的なのも、なかなか素敵だ。あのねじれた毒気は人柄から?勝手な思いが浮かんでは消えてゆく…

 この本で一番強く感じたことは、自分が見て、感じて解釈したとおりに作品を楽しめばいいということ。小説でも、映画でも、絵画でも何でも。“読書は、書き手と読み手の想像力が融合して初めてその世界が形成される”という一文に、ひどく心を突かれた気がした。私はしばしば物語と自分の記憶との交錯に戸惑う。けれど、それがごく自然なことなのだとぽんと肩をたたかれた感じ。それを不毛だとか、くだらないとか言う人がいても、落ち込まなくていい。言わせておけばいい。そういうものこそ、読書の楽しみなのだから。好きなように物語に遊べばいい。ゴーリーの作品も、もっと思うままに読めばいいのだ。

430926574Xエドワード・ゴーリーの世界
浜中 利信
河出書房新社 2002-08

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