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2005.10.30

ほんとうの私

20051026_014 詩的で美しい雰囲気を漂わせた大人の男女の恋愛小説である、ミラン・クンデラ著、西永良成訳『ほんとうの私』(集英社)。ありふれた日常に思える現実から、気がつけば幻想的な世界へ迷い込んでいる。どの場面からなのか。どの言葉からなのか。読み返して辿ってみてもわからない。いや、わからない方がよいのかもしれない。著者の策略にはまったまま、あやふやのままが、心地よいのかもしれない。読み終えた私は、そんなことを思う。読みながら、主人公の男女の熱くて切ない気持ちの揺れ方が危うくて、はらはらする。愛し合う熟年の恋人同士といえども、微妙なすれ違いや誤解が生じるのは若者と変わらず、どこか大人になりきれない私は、何だか少し安心感を覚えた。

 落ち合うことになっていた男女の行き違いから、物語は進む。つとめて明るく振る舞うつもりだったのに、女はわざとらしく見せかけの振る舞いだと思われることを恐れてしまう。言い訳は男を納得させることなく、真面目な議論を避けるために“男たちがもう振り返ってくれないの”という文句を女に思い浮かばせる。男の本心を探ることを目的としたようにも、歳を重ねた女の呟きのようにも、内に秘めた欲望のようにも、その他のことを意味する言葉のようにも受け取れる、何気ないものだったはず。多分、女にとっては。些細なことから発展したそれぞれの思いは、相手を思うがゆえのものなのが少し悲しくもある。

 この作品の中に、妙に印象深く好きな部分がある。それは、主人公の女性が義務のようになっている習わしである、両頬へのキスを嫌がっているところ。他人の見ている前では、仲違いしていると思われないための逃れようもない行為となっているのだ。それがわざとらしくならないように、作り物めいたものにならないように、注意深く神経を張りめぐらせる女。彼女の緊張感、気持ちの揺れ、見つめる先にあるもの、繊細な描写が彼女と私自身とを近づけてくれるような気がする。そこに惹かれるのだ。その様子を、彼女を愛する男性はもちろん見ていて、自分の知る彼女だと思えるまでの時間について悩んだりする。

 もうひとつ印象深かったのは、2人が出かけたレストランで、沈黙するカップルを見たときの会話。互いに視線を交わすわけでもなく、周囲に目を向けているのでもなく、果てしなく沈んだ沈黙。その様子とは対照的に、男は饒舌に沈黙に纏わる思い出話をいくつも語る。実際に耳にしたのなら、聞くことが耐え難いだろうなぁと思いながらも、男の話に惹きつけられる。“退屈に支配された恋人同士が話し合うためには、世の中が必要”という理論に関心。二人だけで愛し合っている二人。その光景がいくら美しくても、沈黙に抵抗して生き延びられないそうな。その意見に女は、“黙っていられるわ”と言うのだけれど…

4087732614ほんとうの私
Milan Kundera 西永 良成
集英社 1997-10

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