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2005.10.21

ひどい感じ 父・井上光晴

20050407_005toki “娘が紡ぐ父の物語”である、井上荒野・著『ひどい感じ 父・井上光晴』(講談社文庫)。小説家であった亡き父に纏わる様々なエピソード。それらは、至るところに愛が満ちていて温かである。ユニークで憎めなくて、ただ1人の魅力を放ち、たまらなく愛しさを覚えるその人柄。どこまでが真実で、どこまでがフィクションなのか。大嘘吐きのみっちゃんこと、井上光晴氏のいなくなってしまった今となってはわからない。描かれるのは、娘の視点から見た父の姿だけなのだから。父と娘。その関係は、密接ながらどこか遠くて、微妙な、けれど絶妙なもののように映る。

 読んでいて心が痛くなった部分がある。光晴氏が抱いたであろう“いたたまれない”という感情について。それは数少ない私小説らしい作品と、うっかり持ってしまった家庭の中に見受けられるもの。老いや結婚生活、生きていくことそのものへの漠然とした不安の中に見出した、自分の娘の子供らしからぬ立ち廻り方。遊園地で見かけた椅子車の少年に目を奪われた男が、一緒に来ていた家族を振りきってまで追いかけ、自分自身がはぐれて途方に暮れる様。そんな物語の中に、実際の父にも通じる心の隙間のようなものを感じる思い。それを意識した途端に、娘である著者の中にも芽生えたいたたまれなさ。じんとくる。

 次に、何よりも素敵だと感じたところについて書く。光晴氏とその妻の共犯者めいた間柄である。「父専業」主婦みたいで、呑気でおっとりしていて、クールで実際的な部分も持ち合わせていた妻。夫の虚実にも神経質さにも、率先して一定の距離を保ちつつ、深い関係を感じさせていた。子供を寄せつけない、その乾き方、厳粛さ。娘からは父のためだけに生きたようにも思えるその姿は、1人の女性として美しい存在感を漂わせている。誰かに寄り添うこと、共に時間を過ごすこと、生きてゆくということ。私自身の中で消えかけているそういうものが、ほんの少しかたちとして見えたような気がする。

 そして、私が初めて読んだ井上荒野作品である『もう切るわ』に纏わる話を。『ひどい感じ 父・井上光晴』に、その印象的なタイトルの小説に込められた著者の思いを見つけることができる。その言葉に託された光晴氏の気持ちは様々に解釈することができるし、3人の登場人物から語られる鮮明な物語によって、新たな思いが交錯したりする。言葉自体が持つ響きと意味を超えて、小説というものができているのだと思わせるエピソードである。心地よい締めくくりまで辿り着いたとき、私は“読了することが幸福なのではなく、読書している時間が幸福であるような小説”という言葉を、本の中から思い出す。そうだ、こういう本こそ心惹かれ、求めているものだと。

4062752026ひどい感じ―父・井上光晴 (講談社文庫)
井上 荒野
講談社 2005-10

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コメント

こんばんは☆
mixiのシリュウです。
ましろさんが読書家であることは
よく判りました。シリュウは純文学は
それほどは読んでませんが自分で
SF系のファンタジーを書いてます。
詩は文芸社から出版なんかもしたんですよ。
これからも宜しくです。

投稿: シリュウ | 2005.10.22 00:42

シリュウさん、コメントありがとうございます!
mixiから来てくださる方は少ないので、とっても嬉しいです。
詩だけでなく、SF系ファンタジーも書いてらっしゃるのですね。
すごいです。そしてとても素敵です。
こちらこそ、今後も宜しくお願い致します。

投稿: ましろ(シリュウさんへ) | 2005.10.22 14:26

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