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2005.09.03

街の座標

20050830_148 “小説の形式をしたストーキング。遂には殺してしまう…”そんな言葉で評された、清水博子・著『街の座標』(集英社、集英社文庫)。女子学生の主人公の<わたし>が卒業論文のテーマに選んだのは、女流作家I。近所に小説家Iが暮らしていることを知った<わたし>は、その痕跡を追い始める。下北沢という、2本の私鉄が交わり座標を形成する街を舞台に、微妙なすれ違いや関係のねじれを描く物語。読み進めるほどに、溢れゆく文字の連なりに、呑み込まれていくような感覚に陥り、戸惑いを覚える。それは、1文の中に“起承転”。次の文に“結”を置く、著者独特の情報量の多い文章のせいなのかもしれない。正直、読みにくい。けれど、はまったらクセになる。とても魅力的な活字の海だ。そう思うのは、溺れてしまった気がするから。だって、カナヅチなんだもの。

 卒業論文に小説家Iを選んだと言っても、主人公はたったの1冊しか作品を読んでいない。小説家の描いた<S区S街>に対して、様々な思いを巡らせているうちに、卒論の計画書に小説家Iの名前を書いてしまった。ただそれだけのこと。ただそれだけながら、幻想に浸るには充分だった。街で見られる景色には、小説の影響がややこしいかたちであらわれた。創作だろうと思っていた場所が目の前にあることに戸惑いを感じつつも、小説に書かれた言葉は決して魅力を失うことはなかった。それらの中には、何も挟む隙などなかった。現実の下北沢という街を自分の足で歩くことは、<S区S街>を特権化する行為となったのだった。

 この主人公、実に怠惰な日々を送っている。細かなことは書かないが、はっきりいってだらしない。けれど、そういうところが妙に親しみを感じる部分でもある。やらなければならないことは、充分にわかっているのだ。わかっているから、やろうとする。でも、どうしても出来ない。出来ないことに苛立ちを感じる。それでも、自分ではどうにもならない…こういう感覚は、誰もが経験することだろう。そして、何とか切り抜けること。けれど、物語の中では始終自分自身と葛藤する。その真っ只中で、苦しむ。周囲に助けはない。お金を払ってどうにかしてもらうことはあっても、やはり主人公は一人きりの印象が強く残るのだ。部屋に閉じこもって、小説家Iの作品を転写するだけで流れてゆく時間。それは、孤独とは趣が異なるように思える。

 あぁ、もしかしたら一人きりの人間ほど、幻想の中に呑み込まれやすいのだろうか。幻想の中というのは、何とも心地のよい居場所ではないのか。物語の中に深く浸っていたいと切に願う私は、そんなことを思う。私にとっては、主人公の小説家Iに対する思いは、ちっとも変わったことではないからだ。お気に入りの作家でなくとも、固有名詞が出てきた場合、胸が高ぶるのだから。それが、自分の知る街ならば、自らの足で小説をなぞりたくもなるだろう。そして、小説家が感じたのと同じ気持ちを私も味わいたいと願うだろう。そこまでの欲求が満たされれば、今度はもっと小説家自身に近づきたいと思い始めるかもしれない。それが、どんな方法かはわからないが。

4087473597街の座標 (集英社文庫)
清水 博子
集英社 2001-09

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