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2005.09.01

さよならアメリカ

20050830_155 袋を被って生活している男性の愛の物語である、樋口直哉・著『さよならアメリカ』(講談社)。主人公は、“SAYONARAアメリカ”というロゴの入った袋を愛用。目の部分を切り抜いた袋の中から眺める外界は、実際よりもリアルで鮮やかであるようだ。彼は他者から見られているという感覚がなく、こちらが一方的に他者を見ているのだという優越感のようなものを感じている。そして、仲間の袋族を探して町をさまようのだ。そんな彼の生活が変化し始めるのは、自称・異母兄弟の男と袋族の少女との出会いから。このシュールな物語は、安部公房の『箱男』(新潮文庫)を連想させるが、私はあえて比べないことにする。これはこれで、面白かったので。

 袋を被る目的。それは、本当の意味での差別や抑圧、偏見から逃れるため。人は生まれながらにして不平等であるいう考えのもと、顔というものが特に人間の外見の象徴であり、最初の印象を大きく左右するものなのだと、彼は語る。そして、袋を被って生活することは、自我を形成する輪郭となる他者を探すためであるという。真の意味での他者というのは、自分と同族の者。つまり、彼にとっての他者というのは、袋を被った人間ということになる。とてもわかりやすい。なかなか袋族には出会えないのだとしても、目に見えてすぐに同族であることがわかるなんて、楽ちんである。楽ちんなことばかりではないだろうが。

 それでは、私自身はどうなのか。考えてみれば、目に見えて同族であるとわかることはまずない。よくよく周囲を見わたせば、同族なんて本当はいないかもしれない。趣味趣向、考え方、価値観…そういうものは、コミュニケーションを通じて分かり合えるものなのだろう。複雑な人間関係あってこその、実に面倒なものなのだ。その面倒なことを楽しむことが出来るのなら、自分の外見にわざわざ匿名性を持たせずに人と付き合うことが出来るのなら、きっと袋など被る必要はないのだろう。逃避にも似たその行為が、彼にとってはこの世界にとどまるひとつの術であるように、自分なりの繋がり方を持つべきなのかもしれない。そんなことを思う。

 “いっそ、私も袋を被ってみようか”という気分になった部分がある。主人公の彼が、袋を被ることの良さを語る場面でのことだ。袋の中では、自分の呼吸音が増幅されて聞こえるそうだ。すると、井戸の底のように心が落ち着くのだとか。そして、懐かしい場所にいるみたいになるという。静寂、穏当、安らぎ…そういうものを感じることができるのだと。いうなれば、精神安定剤のようなものなのだろうか。柔らかな心を保てるのならば、被ってみるのもありなのか。私は被ってみたいのか。たびたび主人公が勧めるものだから、どんどん私の心は染められてゆく。結末の怖さなんかに目もくれずに。

4062130262さよならアメリカ
樋口 直哉
講談社 2005-07

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コメント

物語には完全に取り残されてしまったのですが、「袋をかぶる」ことによる心の安定。わかるような気がしました。
かぶりはしなかったけど、紙の匂い、自分の呼吸音、髪と紙がこすれる音なんかを創造してみたりして…

投稿: なな | 2005.09.29 19:40

ななさん、コメント&トラックバックありがとうございます!
私は本を読むことに“心の安定”を求めてしまっている気がしています。だから影響されやすいのかなぁとか…
読み直してみたら、かぶっちゃう気満々な文章でしたね。

投稿: ましろ(ななさんへ) | 2005.09.29 22:00

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さよならアメリカ樋口 直哉 袋をかぶって生活する僕。最初にかぶったのは初恋の時。今かぶっている袋は三代目で「さよならアメリカ」と書かれた優れもの。見たという噂を聞いた「袋をかぶった集団」袋族を探すべく、一人暮らしを始めた。そんな袋男の手記。うーん。どうし...... [続きを読む]

受信: 2005.09.29 19:40

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