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2005.08.20

パレード

20050815_135 “ツキコさん、昔の話をしてください”そうセンセイに言われ、夏の昼下がりに物語る、ツキコの幼い日の出来事を描いた、川上弘美・著『パレード』(平凡社)。同著『センセイの鞄』(文春文庫)のふたりが過ごした、もうひとつの物語である。そうめんの支度をふたりがしている場面から始まる、この短い物語は、不思議なくらいに今の季節にぴったりだ。ふたりのやりとりは、懐かしさが込み上げるほどよい雰囲気である。そして、同時にほんのりと哀しみがわく。それはきっと、『センセイの鞄』の結末を知っているからこその感情なのだろう。そんな余計な感情など、いらないのかもしれない。けれど、愛おしく思った作品のことは、なかなか心の中から離れていかない。

 この『パレード』の中で印象的なのは、そうめんの薬味。そこに注目してしまった私は、あまりにお腹がすいているせいだろう。ずいぶんと豪華(でもないけれど)なので、私もそんなふうに薬味を添えたい気分になった。たまご、みょうが、紫蘇、わけぎ、きゅうりの千切り、たたきごま、梅干しの裏ごし、煮茄子。これ、全部薬味として小皿に盛られているのだ。こんなにたくさんも。まるで冷やし中華のようじゃないですか。それに加えて、我が家とは薬味が全く違うじゃないですか。たたきごまって、すりごまとはどう違うのですか…なんて思いつつ、我が家の薬味が玉葱のみじん切りとわさびだけ(※父作のとき)のことを少々恥じ入る。何事もアレンジでしょうか。

 それから、センセイの言葉の巧みさにとても惹かれた。例えば、そうめんをざるから大鉢にうつすときのこと。“こうすると、箸で取りやすいでしょう”と、一束ずつくるりとまるめるようにして置くセンセイ。ツキコは、食べてしまえば同じだろうという言葉をのみこんで、センセイに従う。それなのに、大鉢のそうめんがなくなってしまうと、ざるの中に残っていたそうめんをどさっと全部あけてしまうのだ。“センセイ、そうめんが食べやすくなっていませんよ”というツキコに、“まあ、世の中、そんなもんですよ”と澄ました顔で答えるセンセイ。とても素敵だ。とってもいい。私はこういうふたりのやりとりが、読みたかったのだろう。

 そして、肝心のツキコの幼い頃の話。あまり詳しいことは書かないでおくが、私にも覚えがあるような内容だった。タイミングと偶然とに支配されるむごい遊びというのは、いつの時代も関係なく、そばに横たわっているものなのかもしれない。それは、とても悲しいことだけれど、そんなときがあってもいい。今の私には、そう思える。そう思える今でも、いつまでもくすぶる傷があるというのに。

4582829961パレード
川上 弘美
平凡社 2002-04-25

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コメント

 これまで色々な「先生」と呼ばれる方にお会いしてきましたが、今でも強く思い出に残っているのは、高校時代の英語の恩師だったI先生です。

I先生はある出版社の辞書の編者をしたこともある実力のある方だったんですが、眼鏡の奥からギョロッとした眼を覗かせながらハスキーな声で授業をされていたのを覚えています。普段は寡黙なんですが、癇癪もち(ヒステリーともいえるかもしれません)で宿題をやってこない生徒をしかりつけたりするので、人気はいまひとつ。けれども時々子供のようにニヤッと微笑んだりするので憎めない感じでした。そして何故か図書館に自室をもっていて授業時間以外はそこでカタカタと古いワープロを使って教材の作成にあたっていました。

僕は高校時代、放課後や休み時間に(たまに退屈な授業をサボって)ぶらぶらっと図書館に出かけてたので、自然とI先生と話す機会がありました。高校時代何故か英語だけは得意だったのでI先生に随分ひいきにして貰いました。かなり細かい事を聞いても、いやがらずに丁寧に応えていただいていたように思います。

 高三の時だったと思うのですが、放課後に図書館でたまたま二人っきりになる機会があったのですが、そのときにI先生は唐突に「あなたは英語が得意だから、将来高校の先生になったら。ちょっとマニアックなところがあるから勉強を続けたらいいわよ」とつぶやくように言ってきました。僕は当時まったく別の道を考えてたので、笑ってやりすごしたのですが、I先生は少々寂しそうな表情をしていたのを覚えています。

 大学に入学してからは勉強なんてそっちのけの放蕩生活で、どうにか卒業するといった具合でした。就職も英語とはあまり縁のない金融関係の会社に入ったのですが、ストレスで一時的に体調を崩したので辞めました。療養と称して(実はもうすっかり回復していた)フラフラと出歩いていた時期があったのですが、その時に駅でばったりとI先生出くわしたことがあります。むこうは僕にすぐに気付いたらしくにっこりと会釈してきたのですが、僕の方は自分のしていることが少々後ろめたかったので知らんぷり。寂しそうなI先生の表情をよそにそのまま素知らぬ顔をして街へ遊びにでかけてました苦笑。

 現実はなかなか『先生の鞄』に出てくるツキコとセンセイの関係のようにはいかないわけですが、『先生の鞄』を読むと、I先生のことを思い出してしまいます。もっとも、僕の場合は男女間の恋愛感情に似た師弟関係とは少々違うのですが笑。いつかまた機会があれば、I先生と色々お話する機会があればと思います

投稿: るる | 2005.08.22 05:26

るるさん、コメントありがとうございます。
何だかほろほろくるような、先生との思い出ですね。私は、先生を慕う気持ちがまるでなかった問題児でしたので、羨ましく思いました。
『センセイの鞄』のような関係は、なかなかないと私も思っています。センセイとツキコは、会っても知らん顔することもあるし、急によそよそしくなったり恋人みたいになったり、なかなか言葉では説明できない不思議な関係なんですよね。いい距離だとは思いますが。

ずっと先生嫌いだった私が変わったのは、自分が“先生”と呼ばれるようになってからです。アルバイトながらそう呼ばれると、恥ずかしくも照れくさくもありましたが、子どもに親身になって関わり合えたことや、慕われたこと、必要とされたこと…そういう経験をしたことは今でも大事にしたいと思っています。私も子どもだった頃に、もっと素直に先生と関わり合えていたら違う人生だったかなぁなんて。省みて、自分を恥じます。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.08.22 21:25

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