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2005.08.22

号泣する準備はできていた

20050815_155 繊細で透明感溢れる文章で紡がれた、著者ならではのありふれた日常。12の小さな物語を綴った短篇集である、江國香織・著『号泣する準備はできていた』(新潮社)。物語の主人公たちは、いずれも若いとは言えない年齢である。青春小説にあまり馴染めない私には、主人公たちの生きてきた時間を感じさせる、意地とかプライドとか信念みたいなものが心地よく思えた。物語の端々で、言ってはいけないと知りつつ、放ってしまう言葉があるのもいい。立っている場所が、揺らいでいるのもいい。そんなところに惹かれるのは、私自身が不安定な日常を生きているからだろうか。

 まずは表題作「号泣する準備はできていた」。旅先で始まった、満ち足りていたはずの激しい恋の終わり。その哀しみを乗り越えてゆく様子が、静かに描かれている。旅先のエピソードの1つとして、墓地を散歩して墓碑銘を読むのが好きだったことが語られるのだ。主人公の女性は、自分の墓碑銘をこう想像する。“ユキムラアヤノここに没す。強い女だったのに”と。私は、この1文でこの物語は成り立っているのでは、と思うほどに心打たれるものを感じた。この言葉の背景にある主人公の気持ちなど、全く関係なく。こういう言葉を自らの心に放ったというだけで。私ならば、眠れぬ夜に思い出してひっそり泣くだろう。

 続いて「煙草配りガール」。大人の男女4人で酒を飲みながら語らう話である。交わし合う言葉は、何のことはないありふれたものだ。読み手の私も、特に気を止めたりしない。けれど、途中に出てくる主人公の気持ちが、いつまでも余韻となって残るのだ。目の前にいる友人の隣にいるのが、かつて愛し合った優しくて真面目な男でないこと。或いはいっそ“絶対結婚する”と宣言していた男でないこと。いま席を離れている男が、かつての夫と別人であること…それらをふいに奇妙に感じるのだ。こういう思いは、私の中にもたびたび浮かぶ。奇妙と言うよりは、切ない感情として。

 最後は、一番楽しめた「こまつま」。愚かで孤独な若い娘でもなく、暇で孤独な主婦でもないと言い聞かせる主人公。彼女はあらかじめ用意しておいた買い物リストにそって、てきぱきとデパートでの買い物をする。デパート好きであることを、おくびにもださず。誰にも気取られないように。頭を上げ、足を速め、ほとんど傲然と。用事があるから来ているだけで、本当は一刻も早く立ち去りたいのだ、という顔をする。それが、ばかげたことであることを彼女はちゃんと知っている。それなのに、そうする。そうせざるを得ない彼女は、きっと孤独を誰よりも深く知っている。私はそう思う。

4101339228号泣する準備はできていた (新潮文庫)
江國 香織
新潮社 2006-06

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コメント

お久しぶりです。
例の如く、本書についてあまり関係ない感想で申し訳ないのですが、「主人公たちの生きてきた時間を感じさせる、意地とかプライドとか信念みたいなものが心地よく思えた」という一文に興味を感じました。
なぜかというと、自分の場合はその逆のような気がするからです。
もっとも、周囲の人の目には、以前よりも「自分」というものをしっかり持てるようになったと見えているかもしれません。しかし実際は、もっと若い頃に持っていたプライドで、不要なものや非現実的なものは捨ててきました。
では、いい加減な人間になったのかと言うと、そうではありません。これまで蓄積してきた知識や経験などから、「○○はできる」という「自分の軸」のようなものが構築されてきたからです。
これは、意地やプライドといった、感情を含んだものではなく、一つの事実あるいは現状という捕え方をしています。
一言でいえば、「自己の相対化」でしょうか。
自分がそういうタイプの人間に変わってきたせいでしょうか、逆に自己の意見を絶対視する我の強い人間を僕は嫌います。もう少し踏み込んで言うと、自己の信条を持つことはかまわないのですが、それを他人にも強要する人はどうかと思います。

つまらない理屈を、くどくど並べてしまいましたね(笑) ともあれ、これからも裏づけのある実力を身につけていきたいと思います。

ところで、ましろ姫の文章は、常にきちんとまとまったもので、いつも感心しています。まるで若い頃の僕のようだ!(※無論、冗談です。笑)

投稿: デミアン | 2005.08.23 10:05

デミアンさん、コメントありがとうございます!
きちんとまとまっていますか(笑)実際は、文字数をそろえるために、うんうん唸りながら奮闘していたりします。書きたいことを削りつつ…

「主人公たちの生きてきた時間を感じさせる、意地とかプライドとか信念みたいなものが心地よく思えた」についてですが、こう思わないという方が多い気はしていました。
普通、歳を重ねるほど人間というのは、まるくなっていくものなのではないかなと。これまでに蓄積された知識や経験が、洗練されていくようなイメージで。私自身は、そうありたいと願うタイプでもあるのです。心地よく思えた気持ちとは、うらはらに。
この『号泣する準備はできていた』の登場人物たちは、自分の主義主張をしっかり持っているのが印象的でした。“今は、こんなことは言わない方がいい”とか“もっとこう言った方が、この場はうまくいく”とか、わかっているのにもかかわらず、自分の意見を言ってしまうのです。強要するつもりはないけれど、ぽろっと言葉が出てしまう感じで。もちろん、場の空気は悪くなってしまいます。
そういう空気も含めて、何だか愛しく思えてしまったんです。私の心がうらはらなのに少々似た匂いを感じたりもして。物語に語られていることの奥にある過去を、あれこれ想像できる描き方にも惹かれたみたいです。

返事になっているか不安ですが、どうでしょう。

投稿: ましろ(デミアンさんへ) | 2005.08.23 20:54

お返事ありがとうございます。

ふむふむ。なかなか深い内容ですね。僕はそこまで考えませんでしたよ。

>そういう空気も含めて、何だか愛しく思えてしまったんです。
ちょっと意地悪な解釈になりますが、現実に同様なことが起こったとしたら、そのように思うことは困難かも知れませんね。
でもまあ、こんな考えが浮かんでしまうので、僕はあまり小説は読まないのでしょう。悪い意味で現実主義に染まってきているようです。
逆に、そうであるからこそ、小説を読み込む意味があるのかも知れませんが。
今は「もっと知識がほしい」という気分なのです。知識が増えれば増えるほど、「こんなことも知らなかったなんて、僕って本当に駄目だな!」と思いますし、知識が増えるのに比例して、疑問も増えてくるのですね。
こんなことなら、学者になるべきでしたよ(笑)
でも、若い頃に「あれ」を発病してしまったので、それは非現実的な話ですね。

いろいろありますが、お互い無理せず生きていきたいですね♪

投稿: デミアン | 2005.08.26 20:02

デミアンさん、再びありがとうございます!
痛いところを突かれました(笑)現実には、きっと無理です。
むかつきつつ、それを悟られないように黙ってうんうん頷いてしまう気がします。笑みを浮かべながら。
言葉につまると、ニコニコしてしまうタイプなのですよ。ふふ。

デミアンさんの“もっと知識がほしい”気分、私は見習わなければいけません。ブログにお邪魔するたびに、尊敬してるんですよ。デミアンさんのブログ記事を読んで、その本を読んだ気分になっているくらい。的確にまとめられているから、どんな内容の本なのかすごくわかりやすいですし。
学者!デミアンさんが学者だったら、社会科学系でしょうか。著書もたくさん。そんなイメージです。じゃあ、私は秘書希望でよろしくお願いします(笑)

お互いやっかいなものに囚われちゃった身。のんびり参りましょう♪

投稿: ましろ(デミアンさんへ) | 2005.08.26 20:54

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