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2005.05.04

かなえられない恋のために

20050501_003 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、さっぱりきっぱり言っているところが心地よい山本文緒著『かなえられない恋のために』(幻冬舎文庫)を再読した。語り口は何とも潔いのに、決して声高に主張する訳ではない。人間のいいかげんなところも、ずる賢いところも、曖昧なところも、情けないところも、全てを許して愛する姿勢が素敵だ。そう思うのは、紡がれる日常がリアルで飾らない文章だからだろうか。

 このエッセイの中でいいなぁと思うところがいくつかある。例えば、“人は何事かを成すために生きてるんじゃない。何も成さなくてもいいのだ。自分の人生なんて好きに使えばいいのだ”という箇所。これだけを聞くと、何だかとっても勝手におもわれてしまいそうだけれど。自分にまとわりつく妙なしがらみが、すっとぬけるような言葉だと思う。

 私たちは普段、実に狭い世界で暮らしている。極端な話になるが、家と仕事場、家と学校、家とショッピングセンターの往復だけ…みたいに。それでいて一人の人間が経験できることには限りがある。多くの人が、自分の手の届く範囲でしか生きていない。考えてみれば、一生のうちに関われるものはほんの少しだけなのだ。

 だからといって、あれもこれもといって欲張っていては、本当に自分に必要なもの大切なものを見失ってしまう。人間ひとりが持っているバイタリティやエネルギーには限りがあるのだから、自分の好奇心に正直になることが必要なのでは。持っているものを大切にするべきではないかと教えてくれる。なるほどなぁと思う。

 他に、少女小説時代の著者への手紙のことを綴ったエッセイが好きだ(この本の解説を書いている角田光代さんも少女小説を書いていたと知ってびっくり!)。著者に手紙を書いてきたのは十代の女の子たち。その子たちが書いてくる内容の多くは、自分の身の回りに起きている悩みについて。そして、よく“普通のOLだけにはなりたくない”とか“普通の主婦だけにはなりたくない”という言葉を見つけていたという。

 けれど、弁護士になりたい子が短大へ推薦で入る。歌手になりたい子が地元国立大へ行く。図書館司書になりたい子がデパートに就職する。何かになりたかった、はずなのに。生まれてからわずか18年で、“自分には無理だ”という判断を下すのだ。その諦めの感情を植えつけたのは誰か…著者は考える。本人の意志の弱さだとかいうのではなく。

 その答えは一概には言えないものであるが、かつての自分が同じように諦めたことを思うと胸が痛い。私は何を見て、何を感じて、何を思っていたのだっけ。そんなに経ってはいないのに、まだ遠くはないはずなのに、思い出せないことの方が大きい気がするのはなぜだろう。私もかつてはそんなふうだったのに。もう懐かしいなんて。

 ≪山本文緒の本に関する記事≫
  『そして私は一人になった』(2005-03-31)
  『みんないってしまう』(2004-10-31)

487728480Xかなえられない恋のために (幻冬舎文庫)
山本 文緒
幻冬舎 1997-06

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コメント

 大人になるというのは、無数のありえたかも知れない可能性の中から、一つ二つ選び出し、それ以外を泣く泣く放棄するということなのかも知れません。人間の社会化の過程は大多数の人にとって諦めであり残酷であるように思います。
 でも、最近はモラトリアム型の生き方を選ぶ人も増えてますよね。僕自身も今はかなり特殊な部分社会の一員ですが、広い意味で言えばモラトリアム人間なのかと思います。何者でもない自分というのは、気軽であるという点でいいですが、一方でどこにも居場所がないという点で不安です。
 ところで、結婚についても似たようなことがいえますよね。結婚は一種の契約ですが、これは居場所を得るとともにとても窮屈なことのようにも感じます。
 何にせよ社会で生きるには、煩わしい取り決めが多いですよね。本当は As You LikeもしくはAs I Likeという生き方ができれば、一番いいんでしょうけれども。僕はすごく中途半端です

 

投稿: るる | 2005.05.08 17:06

るるさん、コメントありがとうございます♪
私も中途半端なので、わかる気がします。気軽だけれど、居場所がない…うんうんそうです。そのとおりだと思いますよぉ。故・小此木啓吾氏のモラトリアム人間に関する本を読むと、自分のことを裏の裏側まで見抜かれているような気持ちになるのです。痛いトコ突かれた感じで。
書かなかったのですが、山本文緒さん曰く「生まれてからわずか18年で、“自分には無理だ”という判断を下す」理由は、大人に原因があるとのことでした。全てを大人のせいにするのはどうだろうと思ったのですが、大人になることが嫌なのは“憧れる大人が周囲にいないこと”というのも一理あるのかなぁと。そう思うのなら、きっと自分が立派な大人になって示さないといけないのですよね。
って、無理ですけど。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.05.08 20:10

「生まれてからわずか18年で、“自分には無理だ”という判断を下す」理由は、“憧れる大人が周囲にいないこと”であるという意見は考えるところがありますね。
 そもそも日本社会にあっては大人になるということは”大人しくなる”ということだと思います。大人しい大人というのは、なんだか魂の抜けたようであり、社会に対するある種の諦観を持つようでもあり。
 そんな大人を見て育つ子供は、大人になることに対する憧れよりも、反発を感じるかもしれません。俺はまだ、虚勢されてないぞってな具合に。
 もちろん、大人しくない大人というのもいるわけですが、少数派ですよね。ほりえもんなんか喧嘩の強い大人でしょうけれども、みんながなれるわけではない。それでも、新しい時代の若い人に期待したいです
 

投稿: るる | 2005.05.09 21:34

るるさん、再びコメントありがとうございます。
日本社会おける“大人になるということ”って、やっぱり反発を感じるものですね。大人に近づくほどに、大人しくなっているということにも。諦感を持つことにも。かといって、自分はどうかと問われたら、何も言えなくなるのですが…
そんなことを考えてみたら、某おもちゃ屋のCMがぐるぐる頭の中でこだましてきました。~子供でいたーい、ずっと○○○○○キッズ♪~
現実逃避です。
先日、父に言われたんです。“なにも特別になれとは言わない。普通でいいから。普通になってくれ”と。あぁ、自分は普通以下なのか(普通の概念はさておき)。そうだったのか…自分以外の口からそういう言葉を聞くと、ものすごく情けないものですね。“大人になること”以前に“人として”ということに問題があるのかもと。実に現実は厳しいです。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.05.10 17:13

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