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2005.05.03

ヌルイコイ

20050501_007 ふとつぶやいてみる。“私、死ぬのよ”と。どのタイミングでどう言ったらいいのだろう。相手はどんな顔をするだろう。一体何て言うのだろう。相手の出方を、しぐさを、言い回しを、ひとつひとつ探るようにじっと見つめる。そうして、言うべき場面で伝えるべき人の前でだけそっとささやく。

 井上荒野著『ヌルイコイ』(光文社、光文社文庫)は、深刻な病で余命いくばくもないと宣告された女性が主人公である(※決して悲痛な物語ではありません!結末はハッピーエンドです)。けれども主人公は哀しいようなおかしいような気分で、愕然とも呆然ともしない。平然としている。動揺はするのだけれど、それ以上に心揺れる出来事がさらにそのことをやわらげる。

 主人公には、秘かに“鳩”と読んでいる青年がいた。毎日のように通っている隣町の銭湯の前でよく見かけ、女たらしの御曹司として知られている男である。他にも主人公には不倫相手の作家の浜見、すれ違いの生活を送る芸能マネージャーの夫がいる。それでも別れない。別れる気もない。浜見とも。夫とも。

 愕然とも呆然ともしないといっても、病気のことをなかなか伝えることができない主人公。いつ言おういつ言おうと迷って悩んで、言い出すタイミングと出会うことができずにいる。自分が死んでも死ななくても、世界は何も変わらないことを知らされるのが恐いのだった。浜見によってでも夫によってでも、それは同じ事であった。そう認めてしまうのは、あまりにもせつなくて。哀しくて。

 夫と過ごした日の翌日は自分の場所が不確かになるから必ず出かけるようにしているだとか、体の関係を持つこと以外の時間を使いたがらない浜見の電話をいつまでも待つことだとか、夫の勤めるビルに出かけて夫に関する話題に聞き耳を立てたり観察したりすることだとか…。主人公の感じることや行動が、何とも人間くさいように思える。

 この小説全体を包むものがある。それは、普段は意識しないけれど“あぁ、何となくやっているよなぁ”という習性のようなもの。そういうものを感じる場面がたくさん出てくる。そうそう、うんうんと頷ける場面であり、とても心地よい場面。そんなふうに感じるのはもしかしたら、女だからなのかもしれないけれど。

4334739504ヌルイコイ (光文社文庫)
井上 荒野
光文社 2005-10-12

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コメント

こんにちは。
ましろさんのエントリーを読むと、繊細な感覚の持ち主でなければ、この作品をしっかり読み込めないように思いました。
それだけに男性より女性のほうが良い評価をするのではないでしょうか。
また、もし自分が主人公のように、自らの死に直面したら、どう感じるだろうか?と想像してみました。
多分ですけど、死を受け入れるための少しの時間さえあれば、それほど動揺することはないと思います。
このエントリー内に「自分が死んでも死ななくても、世界は何も変わらない」とありますが、それゆえに淡々と死を受け入れるでしょう。
今まで、あまりにも多くのことを諦めてきましたからね。未練とか後悔とかはあまりないです。
ただ僕の場合、死に直面しても不倫はしないと思いますよ(笑)

投稿: デミアン | 2005.05.04 17:00

デミアンさん、コメントありがとうございます♪
私も同じくこれまでに様々な場面でたくさんのことを諦めてきたので、淡々と死を受け入れるのではないかと思います。
もちろん、不倫はしませんよ(笑)悲しいかな、未来にあまり希望や夢みたいなものをあまり感じていなくて。未練や後悔は、ほとんどないのです。だからなのか、ちょっとしたことで死にたくなるのです。
それって、なんだかんだいって結局は生きたいからなのかもしれませんね。

投稿: ましろ(デミアンさんへ) | 2005.05.05 16:10

TBさせて頂きます。
期待して読んだのですが、共感できず読み終えた、という感じです。
残念。
いい感想が書けなかったのですが、TBさせてください。

投稿: 桜井 | 2005.11.07 15:28

桜井さん、コメント&TBありがとうございます!
期待し過ぎてちょっとダメ…って、ありますよね。
図書館で借りた本だったので、文庫化されたのを機会に手にとってみましたが、
あまり惹かれなかったです(苦笑)
今読んだらちょっとダメかもしれない作品みたいです。

投稿: ましろ(桜井さんへ) | 2005.11.08 21:21

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30代の女が問題は無いがすれ違っている夫との生活や長年続く冷ややかな不倫の恋に疲れ彷徨い、銭湯をキーに色々な出来事を通して自分の殻を破っていく様子を描く長編作品。 主人公・なつ恵は31歳。 売れない絵本作家である。 夫は芸能マネージャーで、なつ恵が眠ってか... [続きを読む]

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