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2005.04.03

あるようなないような

IMG0024gure ひらがなだけのタイトルが何とも愛おしい雰囲気を放っていた川上弘美著『あるようなないような』を読んだ。私はどうもひらがなだけのタイトルに弱いらしい。同著の『ゆっくりさよならをとなえる』もかなり好きであるが、今回のも何とも言えずにいい佇まいなのだ。デビュー直後の95年から99年までに発表されたエッセイを収め、4つのパートからなる。川上弘美さんならではの生活感と季節感にあふれた端正な文章が楽しめる。中でも小説を書き始めた学生時代のエピソード、芥川賞受賞後の心境、影響を受けた作家などについても触れられており、川上作品への理解を深められる1冊となっている。

 日々の何気ない暮らしの中で感じたよしなしごとあれこれを紡いだ中で、「かばん症」と「どうしよう」と「小説を書きはじめたころ」の3つのエッセイが印象深かった。読んだ後に広がるこの妙な気分は何なのだろうと思いつつ、人間っぽ過ぎる程のじーんと残るおかしみをゆっくり味わう。この心地よさ、この愉快さ、この感動の正体は何なのか…。

 「かばん症」では、心配性の著者のかばんの荷物について書かれている。荷物はハンカチ2枚、ちり紙2包み、電車の中で読む本2冊、夏ならば扇子に黒い眼鏡、日傘に天瓜粉である。何ともたくさんだ。持って歩いているものを実際に使うことは、あまりないという著者。そのくせ、財布だの口紅だのをかばんに入れ忘れたりする。かばんに多くものを入れておかないと安心できない人というのは、結構多いようである。私もそういう人であるので、人事ではない。著者の知り合いには、四角い大判のアタッシュケースにねじまわしを持ち歩いている人もいるそうだから何とも…。

 「どうしよう」では、電車での何気ない会話に聞き耳を立てる著者の心の動きが愉快である。“腕時計をしない人は信用しないことにしているのよ”という声を聞いて腕時計をしない著者はドキドキ。“サンダル履きでペタペタだらしなく外を歩く人も、ダメね”と続いて、さらにドキドキ。そんな決めつけたような言い方をされると誰でも少々萎縮してしまうものだろうが、何とも著者は素直で純粋なのでおもしろい。後ろをそっと窺ったりもする。

 「小説を書きはじめたころ」でも著者の人柄が生きている気がする。“小説なんていうものは、読むものであって、自分で書ける、書いていい、などとは想像したこともなかった…”という箇所がいい。様々な書くきっかけがあって小説を書くようになった著者だが、自分の書くものがあまり好きになれなかったという。自己愛や自分の作品に対する愛着はあるものの、他の人の書くものの方が優れていると感じていた。自分の作品がつまらぬものだったので、安心して一人で勝手に書き続けることが出来たと振り返る。この謙虚さを見習いたい。

4122041058あるようなないような (中公文庫)
川上 弘美
中央公論新社 2002-10

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