« ベッドタイムアイズ | トップページ | 泳ぐのに、安全でも適切でもありません »

2005.03.10

子どもを救え!

IMG_0025gg 同じ郊外の住宅街に暮らす顔なじみの妻と幼い子供2人が、その夫によって殺された。小説家である千鳥姫彦は、その事件をきっかけにありふれた日常に潜む殺人にも至るかもしれないであろう倦怠感、幸福の影に潜む危うい均衡、死に満ちた世の中などについて考えを巡らして悩み、彼の退廃した日々が侵蝕し始める…という内容の島田雅彦著『子どもを救え!』は、阪神大震災、地下鉄サリン事件の起きた1995年から連載されていた。島田氏は、時代が変化しようがしまいが、自分が変化してしまうことをこの当時追求していた。

 千鳥は小学6年生にして、直観的に多くのことを学んだ過去がある。人は大した証拠がなくても、人を疑う術を知っている。疑いがいくつも集まれば、事実はねじ曲げられる。事実は時に説得力を失い、疑いや恐怖の前に屈する。無邪気な友情なんてものは初めから疑ってかかるべきもの。犯罪は犯されるだけでなく、作られもする。また、犯罪は犯人の自覚によっては立証され得ない。犯罪は偶然や無知のせいにもできるのだと。

 「人はどうせ死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ」などと言う人がいる。夫によって殺され、自宅から20㎞離れた海に捨てられた3人の母子。理不尽である。死はいつだって理不尽で、納得のいく説明は、あとから生きている者がこしらえる。なぜ自分が死ぬのか納得して死んだわけではあるまい。2歳と1歳の子どもに至っては生きることの楽しみも苦しみも、喜びも悲しみも知らないうちに殺されてしまった。そういう運命だったとでもいうのだろうか。誰がいつ子どもたちの運命を決めたのだろう。あまりにもその死は早過ぎるものであった。殺された母子は千鳥にとって赤の他人だったが、同じ歳の子どもを持ち、同じ界隈に暮らす者であり、顔見知りだった。しかも、事件の真相を知れば知るほどに、殺人を犯した夫と自分との共通項を見つけてしまう。

 殺された妻は孤独だ。死んだ子どもたちは、もっと孤独である。あの子たちは、自分が死んだと思っていないだろう。3歳に満たなかった長女、1歳の長男…夫は法によって裁かれるが、それで殺された妻や2人の子どもの魂が癒されるわけではない。たとえ、夫が疲れ切っていてあまりにも余裕がなくとも。疲労というよりも、摩耗であったとしても。

 退廃が行き着くところまでくると、明るく健康な集団的狂気の域に達する。一人だけ狂うのは割に合わないから、家族ぐるみで、コミュニティぐるみで狂う。人を殺すのも狂気なら、それに平然としていられるのも狂気。人殺しの狂気に弁護士の狂気が加担し、市民の狂気が混じり合い、大金が動いて、人殺しも無罪になる。ロスアンジェルスという都市は退廃の極点にあり、狂気の均衡によってかろうじて成り立っている。この都市の狂気を40年見てきたある男が言う。人はなぜ死にたがるのか、なぜ人は人を殺すのかって?そんなこと誰にもわからない。1つだけ確かなのは、殺し合いも自殺も自然の摂理だということ。女に月経があるように、犬に発情期があるように、人は死にたくなるし、殺したくなる。それを罰し、反省し、未然に防ぐことが文明なのだ。けれど、文明はある程度まで進むと、自己崩壊するから人殺しはなくならないのだと。

 千鳥はかつて「文学は人を救えますか?」そんな直球の質問を投げかけられたことがあった。その質問にどう答えたのか、覚えていない。たぶん、読者の水準によるとか何とか言ったのだろうと。ハーレークインロマンスで救われる女もいれば、獄中でドストエフスキーを読んで救われた人殺しもいる。科学や無知で救われようと思う人々もいる。文学は無力だと思いながらも、今なら言う。子どもを救え、母親を守れ、と。そんなメッセージの込められた作品である。

 実際に起きた事件をもとに書かれているらしいが、ノンフィクションではなく、小説として楽しめた作品だと私は思った。島田作品の初期からのファンにとっては、『優しいサヨクのための嬉遊曲』の続編としても楽しめる力作。アマゾンでの評価はかなり厳しい気が…

4087477282子どもを救え! (集英社文庫)
島田 雅彦
集英社 2004-08

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

|

« ベッドタイムアイズ | トップページ | 泳ぐのに、安全でも適切でもありません »

28 島田雅彦の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

作家は顔を見て読むかどうか決めるみたいなことを書いていたのはたしか植草甚一だったかな。僕はなんとなく島田雅彦の顔が好きなのでよく読んでいます。中でも『彼岸先生』が一番好きです。もう1年ぐらい前に無限カノン3部作『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』を読みました。三島由紀夫の豊饒の海4部作を意識して書かれたものでかなりの力作という感じを受けました。ただ僕には18の時に読んだ『春の雪』のインパクトがあまりにも強烈だったので三島に比べると島田雅彦は、なんだか無理しているなあという印象です。とはいっても『エトロフの恋』は独特な叙情性があり風景の描写力は秀逸です。この人は学者なのに偽善者っぽくないのが好きです。『こどもを救え!』は文庫本になったとき読もうと思っていたので早速読んでみます。いつも貴重な情報ありがとうございます。

投稿: spring | 2005.03.11 20:10

springさん、コメントありがとうございました。お久しぶりですね。以前、娘さんのことが書かれていたので気にかけていました。また訪問していただき、コメントまでいただいてしまって、恐縮です。
私も島田作品の中では『彼岸先生』が一番好きです。『自由死刑』や『僕は模造人間』も捨てがたいですが…。島田氏は、かなり三島由紀夫や夏目漱石を意識していますよね。無限カノン3部作はまだ未読ですが、読んでみたいようなそうでないような…雰囲気が今までと違う感じがするので、迷っていたら3冊出てしまっていて、あぁもう遅かったかぁと。文庫化希望しております。私も高校時代に三島にはまっていて、なぜか『禁色』が好きだったんです。この『子どもを救え!』は、かなりいろんな要素が含まれているし、作者独特の毒のあるユーモアもアリの作品です。初期作品からのファンにはかなりオススメの本ですよ。と、勝手に私は思っています。

投稿: ましろ(springさんへ) | 2005.03.12 01:11

ども。島田雅彦、子どもを救えでググったら見つけました。はじめまして。
島田さんのは前から良く読んでいるのですが、飲酒で記憶力が衰えてきたのか、読み始
めてから既読だった、、、なんて事が何度か。
さて、子ども、、ですが、やはり最後に愛人に言わせている言葉がいいですね。励みに
なります。偽善者にはならないでって、なんか自分が言われているような気がしました。

投稿: keiya | 2005.07.27 18:21

keiyaさん、はじめまして。
コメントを残してくださいましてありがとうございます。
また一人、島田雅彦作品のファンを発見!と、嬉しく思っております。“私も読んでいます”という方と、なかなか出会えないもので。
記事を読み返してみたら、何だか偉そうなことを書いていてお恥ずかしい。
ドキリとする言葉、とても印象的ですよね。
今後もどうぞ宜しくお願い致します。

投稿: ましろ(keiyaさんへ) | 2005.07.27 21:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/3249062

この記事へのトラックバック一覧です: 子どもを救え!:

« ベッドタイムアイズ | トップページ | 泳ぐのに、安全でも適切でもありません »